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2010年第1号 地域のパンデミック・プランニング
地域医療の現場の守り INTERMESSO 今後の注目点について

西村秀一

独立行政法人国立病院機構仙台医療センター 臨床研究部病因研究室長・ウイルスセンター長

はじめに

前回は、勃発して間もないパンデミックに対してわが国で春から夏にかけて各地に設置された発熱外来のうち、筆者が知る3か所の例について紹介した。その後、各地で設置されたこうした発熱外来に対し、設置者あるいはそこで実際に働いた人たちの間、あるいはそれを外から眺めていた人たちの間でさまざまな意見が出され、新亜型H1N1pdmインフルエンザの流行の実際に試行錯誤しつつ現場対応してきた。そうした話題は様々な雑誌や新聞等にもそのつど取り上げられており、今は、これから本格的な冬を迎え事態がどう変わっていき、それに対してどのように対処していくか、といったところである。

その意味で、3か月おきの本連載は実際に動いているスピードに追いつけない。その点では限界がある。そもそも本連載は、何段階かのレベルでの病原性に対応可能な場合分けの必要性を訴えつつ、まずはH5N1のようなやや高めの病原性を持つインフルエンザのパンデミックを意識して続けてきたものだった。だが当分の間、対策はこのH1N1pdmインフルエンザに対するものにならざるを得ない。それでは本連載の存在意義は何か? 筆者の自問自答が始まった。今回は、一息ついて、ちょっとした仕切り直しである。

今後の流行の注目点

あちこちで、もうすべてわかったかのような書きぶりの論説を散見する。だが、今回のインフルエンザ、わが国で初めて患者が見つかって半年、流行はずっと拡大してきたものの、私たちはまだ流行の全体像を見たとは言えない。世界各国とわが国と国内各地域が、これからどうなるのか、どう動くのか、じっくり拝見といったところである。

本稿を書いている11月中旬現在、季節性のインフルエンザに準じた対応が定着し、この流行における話題は、おもにワクチンがらみのことがらと、現場の患者ロードと重症化の治療といったところになってきている。今後、注目するとしたら、流行の推移であろう。

1)患者の年齢層

これまで、流行は、春は、高校生、中学生、大学生といった若者中心で、その後夏休み明けから秋には小学生から幼稚園児へと低年齢化してきた。それにつれて小児科や夜間・休日診療所の混乱があちこちで見られた。今後、本格的な冬が来たとき、また同じ年齢層だけに患者が出現するのか、あるいはやはり、大人や高齢者からも大勢の患者が出るのかは注目したい。

2)妊婦の重症化の有無と全体の重症化率

また、これまで妊婦に犠牲者が多いというのが世界的な傾向で日本はその例外だったが、今後もその傾向が続くのかについても注目したい。さらには、これまで日本は、患者の中で重症化する人たちの割合が、世界とくらべて明白に低く、これは治療や抗ウイルス薬へのアクセスの良さゆえとの推測がなされていたが、季節によって重症化率が上がる可能性も考慮に入れ、この傾向がこれからも続くのかについて注意しておく必要がある。

3)大流行に対する社会の公衆衛生的対処

公衆衛生対応の代表格は、休校/学級閉鎖である。本邦では、新型だからということで、かなり早い段階での学校休校、学級閉鎖が見られた。クラスで2〜3人の生徒の罹患で翌日から学級閉鎖が行われたというところもある(ただし、学校の判断は、社会の流行阻止のためというよりは、その学校での流行阻止の観点からであろう)。この方式でいくと生徒の大多数が罹患するまで、何度も休校/学級閉鎖、再開を繰り返す事になるのでは、と筆者は単純な心配をしている。そうした度重なる授業の中断をした学校は、いつどのようにして、必要な授業時間を確保するのか。授業以外のしわ寄せ(生徒の学校外での世話など)をどう処理していくのか、これからさらに流行が拡大した場合どうしていくのか。学校以外の領域も含め、社会はどのような公衆衛生対応の動きをとるのか興味深い。

今後、必要なこと: 対応と検証

今後必要なことが2つある。ひとつは、言わずと知れた1)これからの流行を、流行の様相に応じて私たちの英知でなんとか凌ぐこと。もうひとつは、どうも忘れがちだが、2)H5亜型に代表されるトリ由来のインフルエンザウイルスによるパンデミックへの警戒を緩めず、それに向けた対策も続けていく事である。

政治家も巻き込んであれほど騒いでいたH5N1対策も、目のまえのH1N1pdmに、今はすっかり陰が薄い。だがH5の脅威が消滅したわけではない。H1N1pdmの流行とそれに対する私たちのこれまで、そしてこれからの対応を検証し、それを今後いつの日か起きるであろうこの新たな少々病原性の高いインフルエンザへの対策の参考にすることは、非常に大切なことである。これまでの季節性の流行に毛が生えたようなH1N1pdmだけでもこんなに大変なのに、さまざまな混乱が生じている。これがH5だったらどうだったか、ぞっとするものがあるというのは、インフルエンザ関係者みんなの思いであろう。繰り返すが、大切なのは検証と総括である。だが、それは(来春あるいはそのあと)今回の流行が一段落して初めて可能となる。

検証の対象

さて、今後ひと段落後に検証するとして、対象として何があるか。上述の注目点と重なる部分もあるが、それを考えてみたい。ほぼ時系列的に具体的に項目を挙げてみる。また、筆者の意図についてそのあとに少々説明を加えてみる。(あらためてここで述べずとも、読者がみなわかっていると思われる項目は、ごく簡単に記した)

1)シミュレーション 2)サーベイランス 3)水際作戦 4)積極的疫学調査や濃厚接触者調査 5)発熱相談センター、発熱外来あるいはトリアージセンター 6)現場でのPPE等の感染防御策 7)隔離入院措置 8)国の発表 9)マスコミ報道 10)ワクチンとその接種 11)抗ウイルス薬治療 12)公衆衛生対応

1)シミュレーションについて

H5インフルエンザを警戒していた時期、新型が日本に入ってきたらこんな経過で流行が拡大するといったぐあいのシミュレーション結果が、事あるごとに発表されてきた。それが仮想の単なる「お話」として人を脅していただけのうちはまだ良かった。だが、問題だったのは、マスコミ等で大々的にとりあげられ、その結果直接的にではないにしろそれらの影響を受けた(と思われる)早期囲い込みに重きを置いた行動計画が立てられ、実際にそれに沿って今回の新型対策が発動したことである。以下の2)〜4)の項目は、まさにその影響をもろに受けている。

だが、結果としてそれは今回の現実に合っていたか? 私見を言わせてもらえば、流行初期の時間的・空間的拡大のシミュレーションは、惨敗だったと思う。流行拡大の実際との乖離は、何が悪かったのか? 今後も、さまざまな領域におけるシミュレーションというものをみせられることになろうが、私たちは、これからシミュレーションというものを、どこまで本気で捉えたらよいか?

逆にどのようなプログラムだったら本当の新(亜)型流行だった今回の流行に合致したのか、現代の私たちの知識で(数学的知識と言う意味ではない、インフルエンザの伝播に関する諸々の知識と言う意味で)、ほんとうに実際に合った予測と言うものが可能なのか、それが無理なら何のためにそんなものが必要なのか(たとえば副次効果としての、人びとに「これは大変な事になる」との危機感を持たせる効果もあり、それが主であると居直るのもよいだろう)をも含め、シミュレーションというものをあらためて考えてみるのも大事であろう、というのがこの項目を入れた意図である。

2)サーベイランスについて

当初の全数報告からクラスターサーベイランスへと、方針が状況に応じて移っていったが、聞けば最初のころ国立感染症研究所でウイルス検査を担当するラボや末端の自治体の保健所、地方衛生研究所の苦労は並大抵のことではなかったようである。そういった負担も考慮しつつ、いつ、どの程度の感度でサーベイランスをすべきかをもう一度原点にもどって考えるのも良い。どのような情報が、何のために必要なのか。極限のリアルタイム性はどれだけ要求されるのか。すぐに知らねばならないこと、少々時間がかかっても良いことは何か。情報は何でも最大限必要なのか。国として知りたいこと、把握しておくべきことと、地域として知っておきたいことは何か。そうした情報収集の中で必要とされる情報間の優先順位も必要であろう。そうしたものをもう一度はっきりさせておいたほうが良い。

さらには、情報の質の担保といった問題もある。情報を入手する相手としての医療機関の地域間、地域内の質的均一化という話もあろう。

3)水際作戦の意義とやり方と効果について

これは、空港での機内検疫ならびに停留措置の検証である。水際作戦に対しては批判も多い。その一部の国内侵入を遅らせ、国内流行の対策が整うまで時間稼ぎをしたという評価もある。それも悪くはないが、その完璧性に疑問があるのは間違いない話であり、すり抜けの可能性を考慮した上での、国内での集団発生の早期検出体制の整備と、水際のそれとの力の配分を考えても良かったと思う。

機内検疫の具体的やり方への反省、ならびに今回のような条件(停留対象の定義と期間)が何にどれだけ効果があったかについての検証は、きちんとやっておくことがそれを実施した行政の義務であろう。何よりH5のときにはどうするかであり、停留措置の是非と、もしやる場合の条件の再検討である。

4)積極的疫学調査や濃厚接触者調査の成果

これも次の発熱相談センターと同じく、末端の保健所や地方自治体の現場にとっての過大な負担となったものである。それが、実際どれだけのエネルギーを使って何にどれだけ役に立ったのか、その検証もぜひとも必要である。

5)発熱相談センター、発熱外来あるいはトリアージセンターのあり方

実際に発熱相談センターや発熱外来を設置したところでは賛否両論あり、不要論も結構目にするが、不用というのは全面的にそうなのか、たとえばH5N1のような病原性の高いインフルエンザの流行が起きたときでも必要ないか? 患者の検出効率や人員確保といった運用上の問題点を指摘してそう言っているだけなのか。そうだとしたら、どうすればそれがクリアできると思われるか、といった具合である。

また、これと相まって、患者の診断に至るプロセス(全疑い患者のPCRでの診断等、現場の負担になった)についても問題点の整理が必要である。

6)現場でのPPE等の感染防御策のあり方

前号にも紹介したように、当初インフルエンザウイルスがとてつもない伝搬性を持った危険なウイルスのごとく扱われ、明らかにやり過ぎの例が多々みられた。なぜ、そのような事になったのかの反省と、適切なインフルエンザウイルスに対する感染防御のあり方を、あらためて考える必要がある。

7) 隔離入院措置のあり方

上記のプロセスを経て患者とされた人たちは、みな医学的入院適応に乏しい患者だったが、隔離のために入院させられることとなった。そうした入院が目的とした社会への蔓延阻止に、本当にどれだけ役立ったかの検証は、必要であろう。また、特定の病院だけに入院を集中させるような今回のやり方が、どれだけ当該病院にとって負担であったか、それで地域として十分だったか、次回もそれで良いのかの検討もある。

8)国の発表のあり方について

この流行ほどインフルエンザで大臣や政治家が、テレビカメラの前に露出した例はないと思われる。その露出の性急さが、次項9)と相乗効果をもたらし、結果的にむしろ国民(医療従事者もその中に入る)の危機感を煽り過ぎた面は否めないと思う。また、厚生労働省の新型インフルエンザ担当者が、連日のように細かな情報をテレビで記者会見として発表していた。それらの発表の仕方というのは、臨機応変と言えば聞こえは良いかもしれないが、事前にこうあるべきと作戦あるいは戦略があったわけではなく、事態の動きにあわてて、その場限りの対応をしたとしか思えない。それぞれの発表は、世の中に対してどのような影響を与えたかの検証、今後、その手の発表(内容とやり方)はどうあるべきかの研究は必要であろう。

また、夏以降、何かと予測をマスコミに発表してきた。いわく、「10月中旬に流行のピークが来て、人口の2〜3割が感染、全国で数十万人が重症化して入院、数万人が死亡」、天気予報のように、将来の見通しのようなことをたびたび発表しているが、どうもみな当たっていない印象である。そんな当たるか当たらないかわからない予測を、堂々と出す意義は何か。もしかしたら、シミュレーション同様、効果として人びとに危機感を持たせる意味もあろう。だが、それでもそれがどの程度が望ましいのかの目標の設定も本来は必要であろう。このような発表が、どのように国民に受け取られたかの調査も今後大事であり、そうした予測発表の戦略的意義を検証すべきである。

9)マスコミ報道のあり方について

政府発表の報道に関しては、テレビがそのままを流すのは当然として、インターネット報道もそれに近い。新聞は違ってもよいと思うのだが、前者と違いがないような報道が目立った。独自の取材はあっても、流行に関しては、重箱の隅をほじくって危機を煽るような報道がばかりで、政府発表に疑問を呈するような切り口の、骨のある報道はほとんど見受けられないというのが筆者の印象である。たとえば8)に書いたような政府発表に対する一般国民の受け取り方の独自調査など、やることはあると思うのだが。ワクチン接種に関しても、政府発表を逐時右から左に流したようなものでしかなく、さまざまな決定やそれにともなうドタバタなどは、もっと掘り下げた報道があって良いはずである。これを検証するのはだれか? もちろん政府ではない。マスコミ自身であろう。

10)ワクチンとその接種のあり方について −優先順位の決定と実績について

ワクチン接種のあり方については、方針が二転三転した。厚生労働省側は、状況の変化にあわせて変更した結果だと言うだろうが、地域行政や医療の現場に混乱が生じたのは事実である。なぜ、このような混乱が生じたかを検証するとともに、今後そのようなことが起きないようにするためには、どのような決断システムとその発表のためのシステムが必要なのか、あるいはどういった事前の準備が必要なのかの検討がなされるべきであろう。

また、そうやって苦労して決めた方針で、実際に接種されているワクチンが、この流行でどれだけ役に立ったかの検証は、必須である。

11)抗ウイルス薬治療の疫学的評価

「日本は、諸外国とくらべて今度のインフルエンザで、感染者あたりの重症化率が極めて低く、死者の数も極めて少ない。それは医療へのアクセスが良く、すぐに抗インフルエンザ薬が投与されるからである」という話はよく聞く。そんな気になる。だが、これはまだ、現在までのみえているところをもとにした推論に過ぎない。これが本当であれば、H5N1が来てもそう怖れる事はないということになる。これが本当かどうか、今後もそうあり続けるかの検証は絶対に必要である。母数となる感染者と重症化の定義とその国際比較、薬剤投与と非投与の徹底的な比較など(日本では無理かもしれないが)、疫学的課題は多い。

12)公衆衛生対応とくに学校の休校、学級閉鎖のやり方と評価

今後の注目点3)にも書いたが、公衆衛生対応の代表格、休校/学級閉鎖についてである。この春、わが国での流行初期、関西地区での流行において、厚生労働省の要請で兵庫県、大阪府の小・中学校、高校が1週間休校になったあと、同地区の流行は一見いったん終息の方向に動いたように見え、その後、じわじわと流行が拡大していった。このことをもって、地域の流行に学校の休校が効果的だったとする解釈を散見する。この休校措置、流行をコントロールしたということで海外で評判が高いと聞く。だが、休校措置流行を止めたというのは、あくまで現段階では推論である。休校で直接流行がおさまるのはその集団であり、社会的にはどうだったのか。確かに患者数はそれで激減していったが、それは流行の初発が学生集団であり、たとえば季節性など最初から社会に広がりにくい因子があって学生間の流行が絶たれて、あとは自然消滅の方向にいった可能性もあろう。はたして、一般市民に最初に流行が起きるような状況においてどうなのか。この学校の休校が社会の流行を止めるとする決定的な検証データがほしいところである。この冬、一般社会で流行が蔓延するようなときに、学校休校は社会の流行を止めるのか、それまでは、やはり推論は推論としてmodestに表現すべきであろう。

おわりに

今回は、今回の流行で見られたさまざまなことを今後検証すべきという話をした。わかったような説明が実は推論に留まっている事も指摘した。

検証ということは、もしかしたら、現在マスコミをにぎわせている行政刷新会議の事業仕分けのような、対策の「事業仕分け」までもつながっていくものであろうか。それは必要か否か? 筆者は、必要な事だと思う。ただ、それは税金の使い道、金銭的無駄の排除といった意味もあろうが、それより何より、対策を誤まった方向に持っていかないためである。

問題は「だれがそれをやるのか、やれるのか」である。世にいう「専門家」だけの集団のミスリーディングが今回の混乱の少なくとも遠因であった可能性は、否めない。広い良識を持った、ときに「専門家」の言うことに別の観点からバッサリ斬り込めることができるような「仕分け人」が、この領域にもほしいところである。

References

  1. 白井千香: 【時論】新型インフルエンザA/H1N1に対して「発熱相談センター」は不要―神戸市の経験から、日本医事新報 No.4464、93−97、2009年11月14日 
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