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2007年第4号 地域のパンデミック・プランニング
 小〜中規模の市や町の守り(その2) 迷走:地域の医療現場の悩み

西村秀一

独立行政法人国立病院機構仙台医療センター 臨床研究部病因研究室長・ウイルスセンター長

はじめに

前回は、具体的な対策を考える前に戦略と戦術の区別と、まずは前者の枠組みの必要性を述べ、小〜中規模の町や市における医療面での戦略についての考えを述べてみた。そして次は、本稿で地域における「医療以外」の面でのそれと、地域が抱える問題点について述べることになっていた。だが、それらを考えているうち、後者、とりわけ地域医療の現状を鑑みるほどに考えさせられるものがあったので、今回はそれを中心に述べることにする。

1 前稿での提案の復習:地域医療の緊急避難的フレームワーク

前稿で、状況予測とそれに基づくコンパクトな守りを目指した戦略の構築を目指すべきであり、それは、とりもなおさず医療資源の効率良い使い方と地域医療のあり方であり、さらに言えば、公的病院と個人診療所あるいは個人の小病院との連携あるいは役割分担であると述べ、それを、緊急事態における「地域医療の緊急避難的フレームワーク」と呼んだ。そしてそれまで述べてきた過疎地とは異なり医療資源がある程度あることを前提として論を進めた。ただ、大都市と違って少ないのは事実であり、限られた医療資源をどれだけ有効活用し、長くもたせるかが大きな鍵となってくることを述べた。地域の病院はインフルエンザ疑い患者の初期診療の機能は返上し、主に重症化した患者の治療に特化するような運用面での思い切った戦略決めが必要とも書いた。そして、発熱外来を「地区単位で」設置して、そこで初診患者を引き受け、病院はさらなる治療が必要と判断された患者の治療に集中するといった枠組みを提案し、こうした地区の発熱外来での、働き手としては、地域の開業医の先生方による協力を想定し、そこでのトリアージ、すなわち重症者は病院へ送り軽症者は点滴等の簡単な処置や投薬を考えた。

だが、こうした提案に対しては、緊急避難とはいえ、現実と相当乖離しているといった批判もあろう。考え方が極端過ぎるといった意味での乖離と言われるのであればまだ救いもある。だが、それよりも問題は、小さく言えば地域の医療現場の窮状、広く言えば、その背景に、私のような者が敢えてしたり顔で言うまでもないような現在の日本の医療構造に深い根を持つ問題があり、結局は、そこを解決しない限り、小手先でいくらパンデミック・プランニングをいじくろうが、絵に描いた餅にすぎないことに不覚にも今頃気づかされるのであった。

2 地域医療の現場の悩み

「金なし、医師なし、未来なし……自治体病院の末路」

最近、ある医療関係者向けの雑誌の表紙にこの見出しを見た。ここ一年ほどのうちに出現した「医療クライシス」という流行語が示すように、現在多くの地域の医療機関が診療維持の困難に直面している。

まず病院。病院では正職員の医師数が減っているところが多く、また、ところによっては看護師の数までもが不足してきているところもある。

どうして地域の病院の医師が減っているのか。次のような説明がよく聞かれる。どこも常勤から非常勤化、さらには非常勤からの撤退が相次いでいるが、そのきっかけは、臨床研修医制度の導入と医局人事に起因する地域病院からの医師の引き揚げ、そしてそれにともなう人手不足による勤務医の労働環境の悪化という。そして厳しい経営の効率化の要求と検査・手術・説明と同意書、書類書き、研修医の指導等の業務量の倍増、当直・夜間救急、当直空けの連続勤務。そのような厳しい労働に、報われることのない給与、そしてまた勤務医を離脱する医師が相次ぎ、その結果として残った医師への負担増という悪循環。今残っている医師たちはそんな環境の中で逃げ出さずなんとか働いている人たち、というのが地方病院の置かれている現状という。

前々回登場の中村医師から紹介いただいた地域中核病院であるA病院の広報誌には、次のような悲鳴ともつかない説明が載せられている。



病院の医師は疲れているが、がんばっています。現場ではぎりぎりの医師数で看護師やその他のスタッフも少ない状態で、毎日大変な量の業務をこなしているのです。3年前にくらべて医師が10人減っており、30人の医師たちと研修医11人で毎日1,000人の外来患者と300人以上の入院患者を診ている現状です。一日12時間労働。一触即退職の燃え尽き寸前。スタッフが倒れたら……

東北地方の小都市ならどこでも、地域中核病院は、これに近い状況に陥っているのではないかと思う。たぶんそれは間違っていないだろう。

中村医師からの最近の手紙にも、これに関する悩みが打ち明けられている。

周辺のどこの高次医療機関も似たような状況で、地域の重症患者の適切な医療が困難になってきているようです。パンデミック対応への意識も高まってきていますが、一方で、中核医療施設の体制が崩壊してきているような印象を受けます。

ひとつの医療機関にパンデミック対策、自殺予防、認知症スクリーニング、医療安全……といった各方面への対応が求められ、保健、福祉関連の仕事もあり、また収益も上げなければならない、臨床研修医の教育も……となれば、業務がパンクするのもよくわかります。そのうえ、患者の急速な高齢化で人手不足にさらに拍車がかかっています。

中村医師の手紙は、それに続いて、それゆえ農村は、周辺市町村を頼りにすることなくパンデミック時にはやはり自分のところで対策を完結できるよう、周到な作戦を準備しておく必要があるという以前紹介した自分の信念は間違っていないだろうという話で終わっている。

それは立場を農村に置いたときのものだが、それでは今回の主題である市町村はどうなのだろうか。もとよりそう楽観視していたわけではないものの、前回述べた戦略も修正が必要であろう。もはや楽観論はありえない。これが本稿の結論である。

 

先に述べたことが真実だとすれば、何の手も打たずに患者が出るにまかせ、その患者が病院に押し寄せた場合には、医療の破綻は時間の問題である。こうした地方都市や町での中核医療施設の窮状のみならず、たとえ地区単位の発熱外来を設置しようとしても、絶対的に地域の医療の人的資源が足りない場合もある。最近は、特に比較的大都市に近い場合には、大都市依存傾向が強くなってきており、もともと(大都市のベッドタウン以外)開業の医師の数もそう多くはない上、高齢化の問題もあり、応援を求めようにも必要な人数を集められるか怪しいところも多いと思われる。

そうした心配が不要なところは、前回述べたフレームワーク戦略をそれなりに実施に移していただければよいが、そうでないところでは、いくら非常時の医療のフレームワークなどと気張ってみても、まさに絵に描いた餅になりかねない。

ではそのような場合、どうすべきか? 筆者は、医療の現状を正直に説明して敢えて医療に過大な期待を持たせないようにした上で、医療以外の手段を徹底的に考え抜き、住民に協力を要請し、医師、医療従事者を疲弊させないシステムを作り上げるしかない、本末転倒のように聞こえるかもしれないがそれが結局は地域全体の利益につながると考える。(なお、その具体案については、次号で述べてみたい)。

とは言っても、「あなた方は医療は最初からあきらめてください。ここに生まれ、ここに住んだがあなた方の不幸です。」というのでは、あまりに無策であろう。そこでひとつの案を提起してみたい。

3 ひとつの思い切った策の提案

以下は、直近ではない将来に向けての話であり、スペイン・インフルエンザと同等かそれ以上の感染力と病原性を持ったインフルエンザパンデミックが起きたときの患者の増大、という特殊な状況下におけるひとつのシステムの提案として聞いていただきたい。

これは宮城パンデミックインフルエンザ研究会の会員と電話で話しているうち、今度の中越沖地震における自衛隊の働きや災害医療を参考にたどりついた案で、自衛隊の活用という手はいかがか、というものである。

たとえば各地の自衛隊駐屯地に、衛生科部隊を中心に非常時対応医療機動部隊のようなものを創設し、教育システムを整えて、そこで選抜され特別教育を受けた隊員たちが、パンデミックや大規模災害時に限って期間限定的に、医官あるいは地域の医師、看護師の指導、監督の下に、ある種の簡易検査、介護・看護ならびに、たとえば点滴管理などの限定的医療行為を行えるようにしたらどうかというものである。平素は、通常任務を行ないながら、ときに医療平和部隊として世界各地で起きる災害の被災地で国際貢献をしてもらいつつ、パンデミックという国全体の非常時には、再教育をした後に国内の医療過疎地で働いてもらうという案である。

現実離れした絵空ごとと言われそうである。本来、正式な医療従事者が必要な数だけきちんといて、それでやれればそれに越したことはなく、このようなとっぴな案を出す必要もない。だが、真の現実は、明らかな人員不足であり、しかもそれは、今後少なくとも10年、ことによると20年くらいは解消しそうにもないように見えるし、その間パンデミックが襲ってくる可能性は高い。このような明らかな異常な態勢に重なって起きる非常時を想定すれば、これくらいの思い切ったことを考えてみても良いのではないか、といった話になったものである。

前号の最後で「パンデミックは非常時か?」と問い、答えは「イエス」であり、非常時は非常時の対応をすべきと主張した。現実の地域医療も非常時に近づきつつあることを考えれば、まさにこれはその最たるものかもしれない。

医療の質のある程度の低下は覚悟しなければならないかもしれないが、ゼロよりずっとまし、絶対にマイナスにはしないという最低限の線は守りつつ、全体として良い結果を導き出すための窮余の策である。緊急避難的措置の一案としてぜひ多くの方々に考えていただきたいと思う。

ほかに動員対象としてよくいろいろなところで挙げられるのは、リタイアした医療関係者の現場復帰と医学生、看護学生、検査技師学校生といった医療系の学生と介護関係者の動員であるが、それらはどうしてもボランティアとならざるを得ず、数の確保の確実性、教育、カバーできる医療行為の範囲、責任、報酬、保障等の問題が、それも個々を対象にきめ細かに整備すべき要素が山積しており、むしろわかりやすいシステムとして、教育の段階から組織で動ける自衛隊の活用の方にアドヴァンテージがあると思われる。

非難は簡単である。「こんなもの…」と無視するのも簡単である。それなら他にこの現実に正面から向かい合った良い案があるのか、あるとすればぜひお聞かせいただきたい。議論、提案、大歓迎である。

冷静に考えて、これには免許・許認可の問題はじめ現在の医療体制の枠を大きく越えるという大きな問題があるのは、指摘されるまでもない。そのための法整備、教育システムの構築、医療関係者、市民への説明と、実現のためには相当な努力も必要になろう。だが、本当にこのようなことが可能となるためには、行政そして一般国民の間に、この地域医療の現実とパンデミックという将来への二重の危機に対する危機感の共有が絶対不可欠である。はたして可能か?

しかし、実際には、最近はそれどころか次項で述べるような悩みさえ姿を見せ始めているのが現実である。

さいごに:もうひとつの悩み

この6月中旬、カナダのトロントで開かれた第6回インフルエンザ制圧会議(Options VI)でのDr. Gensheimerの発表である(抄録P306)。彼女は、インフルエンザ誌Vol.4,No.2で紹介した2002年5月にアトランタで行なわれたアメリカの州・地方レベルパンデミック・プランニング会議での進行役を勤め、また本サイトのマニュアル対訳で紹介した『地方の保健担当者のためのパンデミック・プランニング自己チェックの手引き』の作成にもかかわった地域のプランニングのとりまとめの中心的人物のひとりである。そこには彼女の、次のような嘆きにも似た指摘があった。

アメリカは、大変な労力と資金をつぎ込んでパンデミック対策を講じてきたが、現在、国中にpandemic influenza 'fatigue' が広まりつつあり、医学関係者間、一般国民の間で一時期高まった関心が薄まり始めている。まだまだ解決すべき課題がたくさんあるというのに。

鳥インフルエンザ患者が遠いアジアの地で出、これを受け、はじめは「このままではパンデミックは近い」といった緊張感が行政、医療、一般国民に広くいきわたり、パンデミック対策の仕事もやりやすかった。だが、患者は細々と出続けるものの、怖れていたほど早くパンデミックが起きる気配がやってきていない現実がこうも長期にわたって続くと緊張感の持続が困難となり、パンデミックに対する意識も薄れていく、といったことかと思う。

翻ってわが日本やいかに、と見渡せば、本稿で指摘した問題をはじめ、それこそアメリカどころではない課題が山積している。にもかかわらず、ものごとが動いているという印象はない。厚生労働省が主体となって年頭に出した新型インフルエンザの対応戦略の諸ガイドラインも、パブリック・コメントまでは求めたが何のことはない、形式を踏んだというだけでそれ以上の議論はなく、あたかもすべて解決したかのようである。

一時期、「専門家」が、テレビの画面に何度も登場し、史上最悪のパンデミックが明日にでも起きるような印象を与える問題発言を繰り返したこともあった。それにくらべれば今はまだましであろうか? 否、そういった比較の問題ではない。そのような、人びとを煽った人たちは、行政の思い腰を動かすという意味では良かったが、今やオオカミ少年である。「パンデミック、パンデミックと騒いでいる人たちは無責任だよ。ちっともそんなことは起きないじゃないか。」とは、某地域の新型インフルエンザ講習会に出席した某大学職員の発言である。これもpandemic influenza 'fatigue' のひとつの表現形に違いない。

これはオオカミ少年たちだけですむ話ではない。今後のプランニングの行く末にかかわる大きな問題である。ここ1〜2年の時流に乗って出てきて大騒ぎした「感染症の専門家」、にわか「新型インフルエンザ専門家」の罪は大きい。

オオカミ少年の功績であろうと外国とのおつきあいであろうと、まずは「とりあえずの対策」はできたし、この先いつパンデミックが起きるのかは誰にもわからないものの、そうした「とりあえずのもの」をつくるべき時期は越えた感がある。今や、pandemic influenza 'fatigue' を越え、小手先の整合性だけを追い求めるのではない、医療や社会のあり方の根本を見据えた対策づくりがほしいところである。

(なお本稿は、メディカルレビュー社 『インフルエンザ』 2007年10月号に掲載いただいたものを加筆修正しています。)

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