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2004年 第1号 インフルエンザ屋から見たSARSのコントロール ―台湾とフィリピンを見て考えたこと―

国立仙台病院 病因研究室長 西村秀一

はじめに

SARSの問題はこの7月のWHOは地域流行の終息宣言後、ひとまず乗り越えた感がある。だが再出現の可能性もあり、まだ油断はできない。現に本稿を書いている9月はじめシンガポールでふたたびSARS患者が出た。一時冷やりとしたが、結局大学院生の実験中の事故だけでそれ以上市中に感染がひろがらず胸をなでおろした。

だが、わが国に実際にSARSが現れたらどうするのだろうか? これを考える上で多数の患者を経験した国々の経験は貴重である。本稿の執筆依頼は、筆者がちょうどこの5月、台湾でのSARS事情視察を終えて帰ってきたばかりのころであった。その後7月にはフィリピンに出かける機会があり、フィリピンでのSARSの症例やその対策のようすも見聞きしてきた。香港、北京、シンガポール、ベトナム、カナダのSARSについては情報が多く、さまざまな解説がなされているが、台湾、フィリピンについては、ほとんど情報がない。本稿では筆者の経験をもとにまずは、これら二つの国の例を紹介し、つぎにインフルエンザ屋の視点からSARS対策について論じてみたい。

1. 台湾のSARS流行とそのコントロール

台湾のSARSは、中国本土から帰ってきた人が3月14日に発症し家族内感染まで起こした例に始まり、そこから約4週間で計28例のWHO定義による可能性例が出たものの、このころまでは事態は十分にコントロールされていた。ところがその後、患者が急激に増え始め1か月後には全土で483例の可能性例(5月22日)と60人の死者を数えるに至った。この急激な患者の増加のindex caseは特定されていないが、ひとりあるいは複数のSARS患者が何の前触れもなしに無防備な救急外来を訪れ、それもいくつかの医療施設をはしごして訪れたために始まったのではないかということでが考えられている。その後情報の疎通の悪さも含めた現場の混乱が医療従事者や病院にやって来た他の患者やその家族の感染に拍車をかけ、少なくとも6つの大きな病院で院内感染が起き、5つの病院で救急外来の閉鎖や通常の業務の中断を余儀なくされ、さらに市中にまで感染がひろがった。結果的にSARS可能性例中医療従事者が占める割合は約14%であったが、それでも、きちっとした設備と装備のもとにあらかじめSARS患者とわかっている患者を扱った病棟では院内感染は全く起きていないかほとんど例外的な事故しか起きていないとされている。ことに救急外来が感染の場になりやすいことから、初期診療の場を守ることがSARSの院内感染防止のポイントになるというのが台湾の医療関係者から日本の私たちへの一番のアドバイスであった。

われわれが訪れたのは台湾大学と台湾栄民病院という台北を代表する病院の話しを紹介する。

1−1)SARS患者受け入れ病院ならびに陰圧個室の整備

台湾では当初さまざまな病院がそれぞれSARS患者を受け入れていたが、多くの問題が起こり、結局SARS患者を受け入れる病院を指定することになった。設備・スタッフの面で必要なレベルに達していない病院に患者を入れて問題が起きるより、準備の整った施設でしっかりとコントロールしようとするもので、6月上旬までに全国にあらたにのSARS治療病院が設置され。また、これにともないWHOの勧告通りに基本に忠実にSARS患者の治療施設が整備されており5月中に台湾全土で1,000室の陰圧個室があらたにつくられ、合計約1,700室の陰圧個室が稼動できるようになった。これらの数だけでも驚くが、そのスピードも驚異的である。栄民病院では決断から2週間で一つの建物の改築を終え、56の陰圧個室を作っている。なおこれらは、できて5日で満床となったという。

1−2)病院外発熱外来の設置

国立台湾大学医学院附設医院 屋外発熱外来救急外来が感染の場になっていたという反省をふまえ、どの病院でもまず発熱患者を安易に病院内に入れない工夫がなされ、病院の玄関では体温の測定が義務付けられており発熱患者は病院内に入れないようにしていた。センター病院および主要地域病院の敷地内には、患者間の交差感染を防ぎつつトリアージを行う目的でプレハブの発熱外来施設が設置されていた。これは単なる入れ物としてのではなく、X線撮影装置や諸検査機器を備え、さらに陰圧個室をいくつも備えた本格的なものである。ここでの検査の結果、明らかなSARS患者は入院となり、非SARS患者はSARS治療の場から除外されることになる。ここで一番問題になる判断がつかない患者であるが、そのために経過観察用の仮入院設備の役割を持たせた陰圧個室が併設されており、まさに理想的な施設であった。同様の施設が全土で約100施設あるという。(図1)

 

1−3)医療従事者の教育

設備の整備だけでなく職員の感染防御の知識・技量も非常に大切である。台湾大学の付属病院には、SARS病棟と構造がすべて同じのシミュレーション教育専用のフロアーが設けられ、そこで新しいスタッフへの陰圧室への入り方やマスク、アイソレーションガウン、ゴーグル等の防護用品の装着・脱着のし方や手洗いの教育がおこなわれていた。患者のトリアージや入院隔離のための感染対策マニュアルはいちはやく出来上がっており、自施設の職員教育だけでなく、それらを標準化し地域の医療機関に周知徹底させる目的も兼ねて台湾大学はさまざまなスポンサーを得てSARSのコントロールのためのDVDをつくり無償でくばったり、さらに地域の病院への指導・応援や、外からの研修生の受け入れも行っていた。

もうひとつ非常に印象深かったことに、台湾大学では十分経験を積んだ上級医師の指導の下、医学生もSARSの治療の現場に敢えて参加させていた。これは結局きちっとした装備のもとに治療をしていれば院内感染むしろ例外的であり、十分に注意している病院では院内感染が皆無であるという自信のあらわれでもある。今後SARSとは数年単位の戦いになる可能性もあり、怖れるばかりでなくSARSとしっかり対決できる医療従事者の養成は非常に大切だという考えで、彼らが卒業してすぐに医療現場でSARSにかかわらなくてはならない事態になったときに逃げず臆せず適切な防御テクニックをもって対処するようにとのことである。日本でそのようなことが可能かは別にして、このような合理的態度はわれわれにとってもSARSと向き合う際には非常に大事なことであろう。

1−4)リーダーシップについて

SARSのような新しく危険な感染症とのたたかいでは手持ちの人とものを効率良く使う必要があろう。そのためにはそれぞれのレベルで的確かつ迅速にリーダーシップが発揮されるべきであり、決断と実行、真のリーダーシップといった点で台湾に学ぶことは多い。

1−4−1)各病院におけるリーダーシップ

現場レベルの志気の向上には、それを支える環境が重要である。われわれが訪れた2つの病院では何十人ものSARS患者を受け入れていながら院内感染は皆無あるいは救急の場での感染以外は1例の事故を除いて皆無だという。両病院ともSARS患者受け入れのために20名ほどのタスクチームを編成して1週間で戦略の策定と具体的作業マニュアルの作成を行い、院内の指導にあたったそうで、さらに施設の整備に関しても、先の陰圧個室の増床にしろ屋外発熱外来にしろ、必要なものを必要なときに遅れることなく作るという決断と実行が適切になされたと言ってよい。

1−4−2)行政のリーダーシップ(トップダウン方式の明確な対応)

このような医療現場を含む社会全体でのSARSの制圧では行政の力量が問われるといって過言ではない。当初行政がしっかりした対応をとらなかったことが流行を拡大させてしまった大きな原因であるとの批判があった台湾では、その後行政がSARS防治委員会を中心にして力強いリーダーシップを発揮し、短期間に理想的ともいえる対策を次々と実行に移し、結果的に抑え込みに成功した。SARS防治委員会は陳衛生署長(日本では厚生労働大臣に相当)を議長にSARS流行中は毎朝開かれ、彼のもと様々な任務ごとに小グループが形成され、それぞれに責任者、担当者が決められ、誰が何を責任をもっていつまでやり遂げるのかが明確に決められていた(例えば流行状況の把握・分析、物資の管理・供給、検疫、マンパワーの調達、TVコマーシャル、ポスター等の広報など)、また特に印象深かったのは、ロジスティックスであった。すなわち対策に必要な物資の管理であり、病床数に応じた1日の必要資材数と現状在庫数まで把握しており、備蓄日数までも割り出していた。必要な医療機関に重点的に十分な補給が行えるよう、備蓄ならびに在庫管理も含めた防護用品の国家的供給システムが構築されていたのである。

1−4−3)行政各部署の協力態勢について

実際に流行が起こった場合、被害を最低限に抑えるためには国家レベルの危機管理という観点から医療関部局のみならずさまざまな関係部局の協力態勢が不可欠であり、台湾でも衛生署(日本における厚生労働省)単独では国全体のカバーは不可能であり、衛生署を中心に省庁の枠を越えた行政・民間の支援態勢がとられた。患者接触者の隔離には内政担当の部局があたり、軍は付属病院をSARS専門病院として提供、学校でのSARS対策や休校措置の検討等は教育部局があたり、物資の調達には経済部局が応援し、様々な資金提供には財政部局が、病院の経営補助には国民保険局が助力し、といった具合である。

以上ような、万全ともいえる態勢が効を奏したのか、あれだけ流行したSARSも5月の末から激減し、6月に入ってほとんど制圧されたのであった。

2. フィリピンでのSARS症例とその扱い

フィリピンでは、一人の患者がカナダから帰国し、その患者の容態が悪化して入院し亡くなった病院で患者を担当した看護師と、この患者と接触した父親が罹り、もともと癌が進行していたこの父親が亡くなりさらにこの父親を診た医師と看護師、そしてこの患者の親戚が3人発症している。ただし、2人の死亡者以外、3人の医療関係者は発症(熱発と思われる)後2−3日で入院しており、3人の親戚も患者の発症と同時に事前隔離が実施されており、診断確定後の院内感染と思われる症例は2例で、その後市中に感染が広がることはなかった。

2−1)フィリピンの病院におけるSARS対策

フィリピンRITM病室SARS病室仮前室の工夫フィリピン(マニラ市周辺)では、SARSはResearch Institute of Tropical Medicine:RITM(熱帯医学研究所)付属病院(数十床規模)とサンラザロ病院(感染症専門の500床の病院)が担当する病院となった。装備、設備:患者を扱う医療関係者の装備に関しては、WHOの勧告通りの手袋、N95マスク、防止、ゴーグル、ガウン、ゴム長靴が用いられ、手洗いやゴーグルの除染等も専用の流しなどのない状態でもなんとか工夫して行っていた。また病室も陰圧室はおろかWHOの推奨するレッドゾーン(患者病室)とグリーンゾーン(清潔区)を隔てるグレーゾーン(前室)まで持つものを準備することも難しく、RITMでは病室内に天井から床までのビニールカーテン(チャック付きでベッドの方にはチャックを開いて入っていく、あるいはチャックで小窓が開きそこから物を出し入れする)でドア付近にスペースを作り前室領域を確保していた。(図2)

2−2)患者トリアージ

サンラザロ病院 屋外トリアージ結局、新たな患者が市中からこれらの病院に来ることはなかったものの、これらの病院でも、SARS患者を不用意に病院に入れないようにする屋外での工夫がなされていた。サンラザロの例を挙げれば、門から入ってきた患者の流れは門を入って30メートルほどのところで簡単な問診があり(そこでは患者を並ばせないようにする)、発熱患者はテントでさらに詳しく診察され、SARSが疑われる患者はそこに待機している車(台湾には専用の立派な救急車があったが、ここでは中古のワンボックスカーの後部と運転をビニールシートで完全に隔てたものに患者を乗せ)でSARS専用病棟に運び、そこでさらにX線や血液等の検査を受けさせつつ経過観察用の個室に入れるとのことであった。(図3)

ここで視点を変えて、SARSとインフルエンザについて考えてみたい。

3.流行のコントロールの視点からのSARSとインフルエンザ

今回のSARSと通常期のインフルエンザ、そして新型インフルエンザが流行した場合を想定したときの間で、さまざまな類似点、相違点を比検討してみた(表2)。

流行のコントロールの視点からのSARSとインフルエンザ

この表の中でSARSでわれわれがまず知りたいのは、感染性の強さの程度である。インフルエンザと比べてどうなのだろうか? 患者・医療従事者が交錯した、あるいは非常に注意深く仕事がなされた医療現場でのそれぞれ高くもあり低くもある感染性はあまり参考にならないが、市中感染がある程度の参考になると思われる。シンガポールや香港では一人で多くの接触者にうつしたいわゆるスーパースプレッダーの存在が明らかにされたものの、このような患者は患者接触者調査の結果からはむしろ例外的であると言われている。

フィリピンでのインデックスケースの患者は入院の前日まで親戚を尋ねたり、結婚式に出席したり、ショッピングをしたりとフィリピン国内をかなり歩き回っていたという。これで市中感染が起こらなかったことはまさに幸運と言うべきであろうか、あるいはやはり感染性の低さを意味しているのだろうか?(あるいは彼女がスーパースプレッダーでなかったことが幸運だったというべきか?)

これを支持するような判断材料を列挙すれば、a) 市中感染が言われた台湾で、開業医の感染が皆無だった(ちなみに香港でも開業医の感染は患者の1%でしかないという) b) 日本を回った台湾人医師は、いっしょに旅行した人たちにもうつしていない c) 台湾での患者が交通機関内で罹患したと思われる例が0.3%しかない d) 4月20以降9割は院内感染(ただし医療従事者の感染は3割であとは家族や看護人) e) WHOのまとめで、症状が初発以前に他人にうつした例も、親が小さな子供にうつした例も、何の症状もない健康な人たちの間でウイルスが受け継がれることもないこと、そして軽い症状の患者からの伝染も非常に稀かほとんどないこと、がある。

だが、本当にどこでもいつでもそうなのかについては、まだ保留すべき点がある。これまで市中感染が起きた流行地域は主に熱帯・亜熱帯であり、湿度も高く、通常の熱帯での呼吸器感染がそうであるように飛沫核感染が成立せず、患者のごく近い周囲のみが危険域となっていた可能性がある。これらの地域ではインフルエンザでさえ通常は爆発的に流行することはなく、一年中細々と感染の輪が繋がっており、インフルエンザが温帯地方の乾燥する冬に爆発的に流行することを考えると(この爆発的流行には乾燥と飛沫核感染が関係しているとされるが)、このたびのSARSの流行は、地域・季節とも不幸中の幸いだったのかもしれない。(そういえば例外的にこれらの地域に含まれない市中感染があった北京では他と比べて流行規模が大きかったようであり、示唆深い)

最後に

台湾は高い医療水準を持ちながら、流行が市中に大きく広がってしまい、その後徹底的な対策を講じてやっとのことで流行を押さえ込み、一方フィリピンは、患者は出たものの資金的な面から、やむを得ず完璧ではないものの基本線だけは護りつつ、できることを工夫して行い、幸運も手伝って事無きを得た。台湾とフィリピンでこのような経過のちがいが現れた原因は何だったのだろうか? そして、われわれの対策は台湾・フィリピンいったいどちらの経験を参考にすべきだろうか? 筆者自身正直迷うこともある。

SARSの流行は起こらなければ起こらないし、起こる時は起こるが、それはだれにもわからない。われわれはどちらも選択可能であり、結局、考え方次第である。筆者自身は、水際によるわが国への侵入阻止は不可能であり、出現のときは台湾での例のように最初は単発かもしれないが、次にあちこちで散発して現れるのではと危惧している。市中感染が出た時の収め方を研究・準備しておくことは、まさに危機管理の問題であろう。

(なお本稿は、株式会社ビー・エム・エル 『Vita』 2004年1月号に掲載されたものを一部改変したものです。)

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