ウイルスセンタートップ >> みちのくウイルス塾 >> 第15回みちのくウイルス塾 >> 聴講録 >> 田村先生
自治医科大学小児科学講師/厚生労働省健康局参与 田村 大輔 先生
田村先生は、大学卒後、一小児科医としてスタートした。しかし、普通の臨床の先生とは一味も二味も違う道を歩んでこられました。先生の経歴は、自治医科大学の小児科医、東京大学医科学研究所、WHO、CDC、厚生労働省とバラエティに富むものでした。それらの経験をもとにして、先生は基礎研究と行政官と臨床との各視点からみた感染症について講演をしてくださいました。
自治医大小児科に入局し、そこで感染症の小児科医として働きたいと思われたそうである。それをはっきりと意識し始めたのは、医師の3年目のころだったという。タミフルの市販後調査の仕事の依頼が手元に来て、その調査を始め、そこから感染症は面白いと感じ、インフルエンザウイルスの仕事につきたいと思うようになられたという。もともとアメリカ式の、「きつかろう、苦しかろう、悪かろうがよかろう」といった3苦(K)の仕事をしてみたいという気持ちがあり、5年目を過ぎた頃に、PICU担当を終えたところで「感染症患者を診療したい、その中でも特に重症免疫型感染症、特に脳症の治療を行いたい」という思いが強くなられたそうである。年間数十例の重症インフルエンザ脳症の治療および管理を行っていて、臨床医としては非常に充実していたのとともに、逆に病気が良くならないもどかしさも感じたという。
インフルエンザ脳症は日本国内で年間50〜300例くらいの頻度で起こり、小児科診療の中ではインフルエンザ重症例の中でも突出して挙げられる病態である。とくに5歳前後の乳幼児に起こることが多く、国立感染症研究所の報告によれば、年齢分布の割合としては、4歳〜9歳が70%程度をしめる。インフルエンザ脳症は、発熱に始まり、0〜1日といった短い時間で神経症状、痙攣、意識障害、四肢症状に移行していく。印象に残った症例の中には、午前中は公園で遊んでいた3歳の子供が、昼に発熱し、6時頃に近医を受診しインフルエンザの診断を受け、その2時間後の夜8時頃に痙攣が起こり、それが重積し止まらず、呼吸が停止し、発症から24時間で亡くなってしまったというものもあるそうである。今から12〜13年前はインフルエンザ脳症の予後は致命率が30%、後遺症が残るのが30%、後遺症なく帰れるのが30%とされ、臨床医の間では3:3:3の原理と呼ばれる程であった。そのような現状で田村先生は、なんとかして直さなければという使命感を感じていたという。医者になって6年目の頃の話だそうだ。
インフルエンザ脳症のも病態の本質は、炎症性サイトカインが過剰産生されてしまったことによるとされている。感染症に罹ると起きるような、発熱、だるさ、頭痛、筋肉痛といった症状も、サイトカインの放出で説明される。サイトカインは生体防御の反応の主たる物質であるが、インフルエンザ脳症では、そのサイトカインが過剰に産生され、血管障害や臓器障害を起こし、最終的に多臓器不全にまで至ってしまう。このように、ウイルスそのものによる障害というよりも、宿主(人間の体)の過剰反応に原因がある。
2002〜2004年当初は、インフルエンザ脳症の治療は、画一的な横並びの評価ができるような態勢にはなっておらず、そのため、臨床現場では各臨床医が学会報告、研究・論文ベースで出た結果をもとに、さまざまな治療を行っていた。そのような中、平成17年当時、岡山大学の森島教授を班長とする厚生労働省インフルエンザ脳症研究班が、日本国内で初めてインフルエンザ脳症の基本的な病態・治療・予後をまとめたガイドラインを作成した。田村先生もそのガイドラインに従って治療に当たるようになったそうである。そのガイドラインには具体的な治療方法が記載されており、それによって、それまで3:3:3の原理と言われていたものが少し予後が改善されてきたことを実感したという。
だが、それでもなお、インフルエンザ脳症の病態が、想像していたよりずっと難しいことを感じとっていた。そのため、「インフルエンザの病態生理を自分でわからないと治療していてもしょうがない、ガイドラインに沿って治療し続けるのではなく、新しい治療法を確立したい」という気持ちになり、そのためには、「まずインフルエンザウイルスについて知らないといけない、そしてそのために自分で研究してみたい」…そう思ったという。その思いを叶えるべくいろいろ調べてみたところ、インフルエンザの研究で高名な東京大学医科学研究所所属の河岡教授の名前を見つけることができ、河岡先生のもとで勉強したい一心で大学院の学生として東京大学に進学したのであった。
入学当初、河岡教授から研究テーマについて、臨床医であった経験を活かし、一般臨床で目にする季節性インフルエンザに焦点を置き、小児の免疫とウイルスとの関係をテーマにしてはどうかという提案を頂いた。加えて、ちょうど日本では迅速診断キットとインフルエンザの診断学が普及し、ノイラミニダーゼインヒビターが臨床現場で治療の主流になっていたことも踏まえ、この薬に関連した薬剤耐性を持つインフルエンザウイルス、免疫応答とウイルスの排泄期間の関係性を調査することにした。
当時ノイラミニダーゼ阻害薬としては、内服薬のタミフルと吸入薬のリレンザの二剤が日本で普及しており、どちらも同じような作用機序を示すが、それぞれが生体に及ぼす影響にどのような差があるのかを調査した。具体的には、タミフルとリレンザをそれぞれ使用した際の薬剤耐性ウイルスの出現率と解熱後のウイルス排泄期間を、インフルエンザに罹患した小児144人をタミフルとリレンザ処方の2つの群に分けて調査した。
治療開始後のウイルスの有無を経時的な変化で追うと、三日目ではタミフルでは7割、リレンザでは5割くらいの患者でまだ鼻腔拭い検体中にウイルスが含まれており、一週間後でもタミフルでは7割、リレンザでは4割くらいから検出された。
薬剤耐性ウイルスは治療前にはいなかったことが確認できていた。タミフルとリレンザのどちらで薬剤耐性ウイルスが出てきたのかを調査すると、リレンザでは薬剤耐性ウイルスが出なかったのに対し、タミフルでは8%の患者から薬剤耐性ウイルスが検出された。
これらの結果についての当時における考察としては、リレンザは吸入薬であるために喉から気管支にかけての薬剤の局所濃度が高い一方で、タミフルは内服薬という性質上、血液を通して上気道に散布されてしまうため、局所濃度は低い、したがって局所濃度の違いによる薬効の違いが鼻汁の菌、耐性菌の出現にかかわっていることが可能性のひとつと考えた。薬剤の局所濃度が違うことによってウイルスが増殖できるかどうかに違いが生じ、より増殖できる方で薬剤耐性ウイルスが出現し、それが増殖し続けるのではないかという考えであったただし、治療前からウイルス集団の中に少量の薬剤耐性ウイルスが存在しておりそれが選択されたのか、新たに耐性ウイルスが作り出されたかについては、わからないものの…であった。
(なお、現在では、薬の構造の違いによって、ウイルスのNAの薬剤結合部位が異なり、その結合部位の違いが、耐性ウイルスの出現頻度の違いにつながっていることも、示唆されている。)
新生児は免疫力が弱いため、自分の力でウイルスを駆逐することが出来ない。そのため、長い場合であれば二〜三週間くらいインフルエンザウイルスが喉や鼻に存在し続けることがある。そこで先生は、小児のように長期間気道にウイルスが存在し続けた場合には、それが消化管に流れていく可能性はないか、と考えた。小児では胃酸の成分も違うため、胃酸によるウイルスの分解が起きずに、便の中にもインフルエンザウイルスが含まれているのではないか、との推論を立て調べてみた。もし含まれていた場合には、公衆衛生学的にその発見は大きな意義があるのではないか、当時は純粋にそう思っていたそうである。
インフルエンザに罹患した小児 28名の便検体を連日調査したところ、11名の検体にインフルエンザの遺伝子が確認できた。だが、遺伝子だけの検出ではウイルスが生きているか死んでいるか判断できなかった。それでも、やっとのことで1名の検体から生きた活性をもった(生きた)ウイルスを検出することができた。しかし、論文にはしたものの、そうした症例の頻度の少なさや、大量のウイルスが喉・鼻から排出されているようなコンディションであり、コンタミネーション(検体への誤入)を完全に否定することができなかったこともあり、この発見は、公衆衛生上の意義をその論文で十分に論じることはできなかった。
東京大学医科学研究所で基礎研究を行っていても、自分の気持ちが満たされることはなかった。当初はインフルエンザウイルスの研究をしなくてはと思っていたものの、河岡先生の国際的な視点に立ったプレゼンテーションを聞くたびに、このままでよいのかという気持ちとなったという。ちょうどそのころ、2009年の春に新型インフルエンザのパンデミックを経験した。そして、その時、国際的な視点に立ってインフルエンザの仕事をしたい、という気持ちがさらに強くなったそうである。そこで東京大学医科学研究所から次のステップとしてスイスのジュネーブのWHOで働くことを考え始めた。WHOのセクションの中で自分の行っていた分野とリンクしており、なおかつ国際的に働くことが出来るということから、世界中のインフルエンザの調査、インフルエンザの人獣感染の調査、新型インフルエンザの発生動向調査を行っている、グローバルインフルエンザプログラム(GIP)が、自分の希望に一番合っている感じで、そこに挑戦することにした。幸い、そこでは日本人医師の進藤先生が活躍なさっており、彼女が日本で講演会を開くと聞き、そこに行きダメ元で名刺を渡し直訴をした。すると、彼女から「やる気があるのならジュネーブにおいで」とメールが届き、そのままジュネーブに向かったのだった。
GIPでの最初の仕事は新型インフルエンザの診療ガイドライン作成であった。はじめは、自分の専門分野であり、なおかつ河岡先生とも仕事をした自分には簡単な仕事であろうと安易に考えていた。だが、国際的な仕事をしたこともなく、英語もできない、国際的な感覚もない等、その道のりは困難なものであった。ガイドラインを作成する中で最も衝撃であったことは、日本での常識と世界の国々が解離しているということであった。インフルエンザの診断、治療、患者の管理、設備等それぞれの国で、それぞれの状況があり、中には人工呼吸用の酸素もなく、工業用の酸素ボンベを代用するような国すらあるのだった。そうした例を考慮に入れながら落としどころを見つけなければ、世界各国で使われるようなガイドラインを作れないことを痛感したという。そうした苦労も経験しながら、やっとのことでガイドラインを作り上げることができた。WHOの任期が終わると、自らの手を動かして科学の知見をupdateして更にそれを自分の手で施策につなげたいという気持ちが強くなり、次にCDC(後述)に渡ることを決意した。
CDCとはアメリカ疾病対策予防センターのことである。アメリカの保健福祉省所管の感染症の総合研究所であり、感染症だけでなくタバコ、がん、高脂血症、循環器、消化器の病気も取り扱っている。CDCで発出される文書は非常に多くの文献やデータの収集結果を元に作成されるため、世界共通のルールとみなされることが多く、またCDCは人類の脅威となる疾病のアウトブレイクに対しては国内外を問わず即座に駆けつけ、調査・対策を講じることで知られており、世界の感染症対策において主導的な役割を果たしている組織である。特に西アフリカでのエボラのアウトブレイク、韓国でのMERSなどは我々の記憶に新しいものである。田村先生が行った感染症部門(NIID)は、ヒトへの病原性の高いインフルエンザウイルス、エボラウイルス、天然痘などを扱い研究しているところであった。
田村先生がCDCで最初に行った主な仕事は、ブタインフルエンザウイルスのヒトへの感染事例の追跡調査であった。昔からブタインフルエンザウイルスがブタの間で流行すること、ときにヒトにも感染することが知られている。2011年に初めて人への感染が確認されたものは、アイオワ州、インディアナ州、ペンシルベニア州での農産展示会が感染源と特定でき、CDCは各州に注意を促した。その結果、2012年に全米からCDCに検体依頼が殺到するようになった。CDCでは、これが次のパンデミックになるのではと考えられていた。だが、2011年に11例、2012年に400例近くが確認されたものの、流行自体はその後収束していった。
入院患者などから調査した感染データからは次のようなことが分かった。このウイルス感染伝播としては、一部、人から人への感染が確認されていたが、基本的には豚から人への一方的かつ単発的感染のみであること。臨床症状は、発熱と上気道症状が中心であり、重症化率は季節性インフルエンザと同等であること。これらのことから、これらの危険度は幸いにして季節性のインフルエンザと同等であると判断された。
これらの知見を基にCDCは次のような方針を立て、全米に通知したのだった。①基礎疾患を持っている人、もしくはご高齢者等については、農産展示会での豚との接触を避けること ②石鹸やアルコールなどの手指消毒の指導等を行うこと ③ 展示会の中止、延期は勧告しないということ
もう一つの仕事の内容として臨床現場で対応に苦慮している患者由来の検体の緊急解析(スクランブル対応)があった。これは終日および週末に、臨床現場で重症化している患者の検体を受け取り、CDC内で解析を行い72時間以内(〜120時間以内)にその解析結果を臨床医に報告するというものである。当然、受け答えは英語で行う必要があり、日本人である田村先生が対応するのはなかなか難しかったという。
田村先生が勤めていたインフルエンザ部門では、「インフルエンザ患者の症状が悪化」「インフルエンザ様症状の患者だが、州の保健センターで確定診断ができない」「薬剤耐性ウイルスかもしれない」といった理由で依頼が舞い込んでくるそうである。薬剤耐性の解析をしている田村先生の部門では「薬剤耐性ウイルスかもしれない」という理由で検体が送られて来れば断ることができず、結局、どんな時でも即座に解析を始めるのだった。それらの中で田村先生が最も印象に残っているのは、ジョージワシントン大学、小児感染症医からの電話であったという。骨髄移植後の8カ月の幼児がインフルエンザに罹患したが治療経過が思わしくなく、薬剤耐性の可能性を疑っているというものであった。スクランブル対応では、患者さんの検体を受け取ったのち、インフルエンザウイルスを実験室の細胞でウイルスを増やし、ウイルスの薬剤の感受性を調べるという流れで行われる。そしてその結果をもとに中間報告書を書き、またその一方で薬剤耐性変異がありそうな部位の遺伝子を調べ、その結果を踏まえ最終的な報告書を仕上げることとなるのだが、この例では結果として、四剤耐性のインフルエンザウイルスが発見されたのだった。これは、以下に述べる理由から、驚くべき発見であった。
現在日本で使用できるNA阻害を機序とする抗インフルエンザ薬は四剤である。そのうち、タミフルとラピアクタ、リレンザとイナビルはそれぞれが互いにウイルスに結合する部位の構造が類似しているため、理論的には、一方の薬剤に耐性を獲得すると、もう一方の薬剤にも耐性を獲得することとなる。例えば実際、日本ではタミフルに耐性を持つと同時にラピアクタにも耐性を持つウイルスが検出されている。当時理論的には四剤耐性ウイルスの発生も可能性としては排除できないものの、実際に四剤耐性ウイルスが確認されたことは、それまでなかった。
ウイルス薬剤耐性を起こす遺伝子変異が起きるとウイルス自体の増殖性が悪くなるという現象が、それまで多くの場合観察されており、そう簡単に四剤耐性ウイルスが出現することは、予想されていなかったのであった。
その後、アメリカでの経験が日本の政策に生かせるのではないかと考え、帰国し厚生労働省で働き始めた。厚生労働省健康局結核感染症課 新型インフルエンザ対策推進室というところで新型インフルエンザのパンデミック対策にかかわることとなった。日本の新型インフルエンザ対策には、感染拡大を可能な限り抑制し、健康被害を最小限にとどめるということと、社会・経済を破綻に至らせないことという2つの柱がある。具体的には、訓練、医療体制の整備、研究の推進、準備の4つが対策として挙げられる。「準備」として、あらかじめ発生しそうなウイルスの予測のもとにワクチンを備蓄すること、新型インフルエンザが発生したときに全国民分のワクチンを6か月以内に製造出荷するための態勢を整備すること、人口の約45%相当分の抗インフルエンザ薬を備蓄することが課題とされている。
また、その一方でエボラ出血熱の対策にも加わった。その中で喫緊の課題は、防護服の問題であったという。日本ではエボラ出血熱用の防護服の規格がなく、また、製造した国によって防護服製品の基準規格が統一されていないため、横並びでの評価ができないという問題があり、日本が国として、一定の規格を満たす防護服を各自治体、医療機関に示す必要があった。2015年の2月にエボラ出血熱に対する個人防護具のガイドラインまとめあげた。
様々な国、職種を経験されてよかったと感じたことは、国際的なコネクションができたこと、物事を客観的に見られるようになったこと、小さなことでも興味によっては刺激的に感じられるようになったこと、が挙げられるそうである。一方で、大変なことも経験されている。食生活をはじめ、異国文化を積極的に許容しなければならず、自分の価値観はあくまで自分の価値観でしかないということに気付かされたという。そして、今また一小児科医にもどって働き始め、現在は、患者への「microな細かさと国際的に物事を考えるmacroな感覚を持つ必要性、様々な立場の人の考えを理解し、バランスをもって評価・実行する対応力」がベッドサイドで必要である、という思いをあらためて感じておられるという。
以前ノイラミニダーゼ阻害薬の副作用で幻覚を見たとか異常行動が出たとかいうことが話題に上がりましたが,インフルエンザ脳症に起因して異常行動を起こしているように思えます.先生の個人的見解としては、異常行動はノイラミニダーゼ阻害薬に起因すると考えられますか?
それともインフルエンザ脳症などに起因するもので,ノイラミニダーゼ阻害薬と関連性が低いと考えられますか?(東北大学大学院薬学研究科 中村大地さん)
ノイラミニダーゼ阻害薬を投与しない例でも異常行動は発現しているがどちらとも言えない.ガイドラインとしては小児への投与は控えるようにということになっている。
ノイラミニダーゼ以外の部位をターゲットとするファーストインクラスの新薬として期待できるものはどのようなものがありますか?
ノイラミニダーゼ以外をターゲットとするものだと,エンドキャップヌクレアーゼ阻害薬S-033188が先駆け指定に登録されている。面白いものとしては、DAS181という糖タンパクを剥ぎ取ってインフルエンザウイルスが侵入できなくする候補化合物が出ている。
インフルエンザは将来的に撲滅できると考えられますか?
おそらく撲滅できないだろう。
4剤耐性インフルエンザが検出された患者では、タミフルとリレンザは逐次的に投与されたということか?(東北大学大学院農学研究科 宮下脩平さん)
そうだ。
確率で考えると、患者の体内で生じるウイルス変異体のうち数万分の一はタミフル耐性、数万分の一はリレンザ耐性となる変異をもっているはずだが、両方に耐性となる変異をもつ確率は数十億分の一程度になるためそのような変異体が選択されてくる可能性は十分低くなる。タミフルとリレンザの同時投与により耐性ウイルスの出現を抑えられる、という知見はないか?
同時投与について、治療の効果に差がないという知見があるが、耐性ウイルスに関する知見はない。
ワクチンの有効期限は3年という話だが、これを延ばせないのか?
そのように製薬会社に依頼している。
インフルエンザ脳症を発症するメカニズムを教えてください。(福島県衛生研究所 柏木佳子さん)
メカニズムについては、まだ不明です。ただ、アジアのいくつかの国で報告されています。しかし、WHOでインフルエンザ脳症の話をしたとき、アメリカではインフルエンザ脳症を知っている人はいませんでした。地域性があることも特徴的です。人種としてはモンゴロイドで発症が見られます。
現在新型インフルエンザ対策として備蓄されているH5N1ワクチンは、今後の世界の流行によっては、違う亜型ワクチンが選定されることもあるのですか?
現在はH5N1だけが選定されていますが、見直していかなくてはならないと思います。また、この備蓄ワクチン制度についても、高額な税金を投入しているので、このような制度自身について見直さなければならないと考えています。私の仕事を引き継ぐ人にその旨を伝えています。
先生はWHO、CDC、厚生労働省、小児科医と立場を変えいらっしゃいます。さまざまな立場を経験され、日本のインフルエンザ対策は今後どのようにするとよいと思われますか?よろしければ、教えてください。
インフルエンザの予防と予後のため、サーベイランスによる流行状況の把握が重要です。日本におけるサーベイランスは、他国と比べて質が高く、有効な情報が得られます。このサーベイランスの質を保ち、さらに予防及び予後に向けた対策をしっかりと行うことが日本のインフルエンザ対策に有効ではないかと思います。
私たちは、3年生ということで臨床の知識はほとんどありませんでしたが、東京大学 WHO、 CDC、 厚生労働省と、世界的な機関での様々な経験を聞くと、臨床、研究、行政のそれぞれの面白さ、大変さ、魅力がよく伝わってきました。また、それぞれの分野の隔たりを埋める仕事のやりがいも、感じることができました。今回の先生のお話は、インフルエンザに関するものでしたが、今後、私たちも大学の授業や実習で様々な分野について考え、自分のやりたいことを見つけられればと思いました。今回初めてのウイルス塾でしたが、2日間とても濃密で最先端の研究を沢山学ぶことができ、様々な人と交流することもできました。講演してくださった先生方、主催してくださった先生方、ウイルスセンターの方々に、感謝いたします。ありがとうございました。
秋田大学 医学部 医学科3年 関根優哉
大学で医学を専攻している私にとって、今回の御講義は大変興味深い内容でした。田村先生のように医師としてだけではなく、国内外で研究をされたり、国の政策に尽力されたりしてご活躍されているお姿は、将来の自分にも様々な可能性があるということを実感するきっかけとなりました。みちのくウイルス塾に参加させていただいたのは今回が初めてでしたが、世界で活躍されている先生方の御講義や意見交換会など、非常に内容の濃く勉強になる2日間となりました。西村先生をはじめ、このような機会を作ってくださった方々に感謝申し上げます。
秋田大学 医学部 医学科3年 伊藤知輝
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