ウイルスセンタートップ >> みちのくウイルス塾 >> 第15回みちのくウイルス塾 >> 聴講録 >> 佐藤先生
京都大学ウイルス研究所 ヒト・レトロウイルス研究施設講師 佐藤 佳 先生
HIV (Human Immunodeficiency Virus)は、エイス゛(後天性免疫不全症候群)を引き起こすウイルスである。感染後、免疫システムが働かなくなるエイズと呼ばれる病態にまで至ると、通常であれば免疫システムにより排除できるような病原性の低い病原体にも容易に感染し発症してしまう。このエイズの原因ウイルスとなるHIVは、ヒトとチンパンジーにしか感染しないことが知られており、特にヘルパーT細胞(CD4+)に感染し、増殖し、感染した細胞を破壊する。
ヒト化マウスとは、マウスの一部の遺伝子、細胞または組織がヒトのものと置き換わったマウスであり、ヒトの疾患のモデル動物として開発された。佐藤先生は、ヒトの免疫細胞を持たせたヒト化マウスを用い、本来ならばヒトとチンパンジーにしか感染しないHIVがマウスにも感染できるようにし、in vivoでのHIV研究を行っている。
このヒト化マウスは、NOGマウス(NOD/SCID/IL-2R null mice) にヒト造血幹細胞を移植したもので、末梢血、胸腺、骨髄、脾臓において、ヒトの白血球、B細胞、T細胞などの免疫細胞産生が確認できている。HIVはヘルパーT細胞に感染するため、本ヒト化マウスはHIVの病態モデルになると考えられる。これらのヒト免疫細胞は、本ヒト化マウスで1年以上維持することができる。
HIV-1は9つの遺伝子をコードしている。構造・機能遺伝子のGag, Pol, Env、調節遺伝子のTat, Rev、アクセサリー遺伝子のVif, Vpr, Vpu, Nefである。これらのうち、構造・機能遺伝子と調節遺伝子は、ウイルス複製に必須であることが報告されている。一方、アクセサリー遺伝子Vif, Vpr, Vpu, Nefは、条件によっては必須・重要であることが報告されているものの、それらはin vitro(培養細胞系)のみでの報告しかなく、in vivo(生体内)でのウイルス複製における役割は、わかっていなかった。そこで、佐藤先生は、ヒト化マウスにHIV-1アクセサリー遺伝子変異ウイルスを接種し、野生型HIV-1を感染された時との表現型を比較することでin vivoにおけるアクセサリー遺伝子の機能解明を試みた。
内因性免疫とは、病原体による感染から宿主を守るために細胞が先天的に備えている病原体特異的な防御機構である。近年APOBECファミリーを代表として多くの内因性免疫因子が見つかっており、抗HIV-1因子としては、APOBEC3、BST2などがある。
APOBEC3 は、HIV-1ウイルスRNA遺伝子の逆転写時、RNA塩基のCをUに入れ替え、変異を誘発することでウイルス複製を阻害する。BST2 は、細胞表面上にあってHIV-1の出芽を抑制する。
アクセサリー遺伝子Vif は、内因性免疫APOBEC3を排除するウイルスタンパク質であり、ウイルスが感染した細胞で発現するAPOBEC3をユビキチン・プロテアソーム経路依存的に分解することが知られている。ヒト化マウスに野生型HIV-1とVif欠損HIV-1を感染させたところ、野生型HIV-1感染群ではウイルスが増殖した一方、Vif欠損HIV-1感染群ではウイルス増殖が感染後15日間にわたり検出限界以下までに抑えられた。この実験結果から、生体内HIV-1増殖においてVifは必須であり、 APOBEC3は非常に強力な 抗HIV-1活性を示す宿主因子て゛あることが明らかになった。
アクセサリー遺伝子Vpu は、内因性免疫BST2を排除するためのウイルスタンパク質であり、ウイルス感染細胞表面に発現するBST2をダウンレギュレーションすることにより、BST2の抗ウイルス効果を抑えることが知られている。ヒト化マウスに野生型HIV-1とVpu欠損HIV-1を感染させたところ、Vpu欠損HIV-1感染群では野生型HIV-1感染群に比べ増殖抑制がされていた。だが、その抑制の程度はわずかであった。このことから、生体内でのHIV-1増殖においては、Vpuは必ずしも不可欠ではないものの、そのBST2阻害活性によりウイルス増殖を促進する働きを持っていることが示唆された。
佐藤先生は、内因性免疫の獲得について、赤の女王仮説を例えに出されていた。赤の女王仮説とは、童話 鏡の国のアリスに登場する赤の女王のセリフが基になっている。“その場にととどまるためには、全力で走り続けなければならない”(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)
ウイルスの感染に対し、宿主は進化の過程で内因性免疫を獲得してきた。一方ウイルスも、内因性免疫に対抗するVifやVpu遺伝子を獲得してきた。つまり内因性免疫は、赤の女王仮説のように自らの種を次世代に繋げるために、ウイルスと宿主の互いの進化的せめきぎ合いの中で生まれたのではないか、と佐藤先生は考えている。
内在性免疫と拮抗するVifやVpuなどを阻害する医薬品を開発すればファーストインクラスを狙えると感じましたが,創薬ターゲットとしてやってみる価値はありますか?(東北大学大学院薬学研究科 中村大地さん)
やってみる価値はある。
内因性免疫の進化に順番はあるのか?(東北大学大学院農学研究科 両角一輝さん)
免疫系よりもウイルスの方が圧倒的に進化のスピードが早い。ヒトVSウイルスで進化したというよりも、ウイルスVS内因性免疫と似たウイルスのせめぎあいの中で獲得されたものでは。
また、講義の際にはウイルスには直接関係がなく質問できなかったのですが、下記について教えていただけると幸いです。
NOGマウスの骨髄に放射線照射する際
(1)線源は何か。(2)エネルギー量(グレイ)はどのくらいか。(3)骨髄以外の組織(例:腸上皮細胞)に影響はでないのか。
(青森県保健環境センター微生物部 菩提寺誉子さん)
X線(X線照射器)で、10 cGy(センチグレイ)です。それほど強い線量ではないので、特に影響はないのでは、と考えていますが、きちんと精査したことはありません。多少の差はありますが、国内外の他のヒト化マウス研究グループでも、ほぼ同様の処理を施しているかと思います。
なお、以下の論文で作製法を記述しています。
Virology 394 (2009) 64-72. Selective infection of CD4+ effector memory T lymphocytes leads to preferential depletion of memory T lymphocytes in R5 HIV-1-infected humanized NOD/SCID/IL-2Rγnull miceChuanyi Nie, Kei Sato, Naoko Misawa, Hiroko Kitayama, Hisanori Fujino, Hidefumi Hiramatsu, Toshio Heike, Tatsutoshi Nakahata, Yuetsu Tanaka, Mamoru Ito, Yoshio Koyanagi
ヒト内因性免疫因子APOBEC3はHIVだけではなく他のウイルスにも効果があるのですか?(福島県衛生研究所 柏木佳子さん)
あると考えられます。たとえば、BST2は機序から考えれば、エンベロープを持つウイルスには有効ではないかと考えられます。
先生のお話に出なかったHIVの他のアクセサリー遺伝子にも、ターゲットとなる内因性免疫因子があるのでしょうか?
あります。これは他のグループが報告しています。
HIVの増殖には、複数の宿主因子が関わり、幾つかの因子がsuppressiveな作用のあるのは、HIVがまだヒト細胞に十分に定着してないとのことを意味するのでしょうか? (元北里大学医学部教授 大槻健蔵先生)
そうであると考えています。 HIVが出現してからまだ約100年程度と推定されていることから、現在ヒト細胞が有している抗HIV内因性免疫は、HIVのために作られたものではなく、 過去にHIVに類似したウイルスがヒトやチンパンジーを含めた霊長類で流行し、 それを抑止するために進化的に獲得したものと考えております。
この様な宿主因子は、細胞内ではどうの様な生理機能を有するのでしょうか?
今回ご紹介したAPOBEC3とBST2も、基本的に生理的活性はないと考えており ます。APOBEC3ノックアウトマウスとBST2ノックアウトマウスとも正常に生育ことから示唆されています。
これらの因子は、HIVがもう少し時間が経ってヒト細胞に定着すれば、一体どうなるのでしょうか?
ここでの「時間」がどのくらいの単位かにもよりますが、ヒトという種の進化という単位の時間(数十万〜数百万年)であれば、おそらくこれらの因子も進化していくと思います。完全な推測ですが、「HIVが弱毒化する→抗HIV内因性免疫が不要になる→抗HIV内因性免疫への進化的選択圧がなくなり、遺伝的浮動(genetic drift)によって中立進化する」と考えております。
既に病原性のないHIV株が見つかっているようですが、このようなウイルス種 では、これらの宿主因子はどのような作用を示すのでしょうか?
「病原性のないHIV株」については、申し訳ないのですが不勉強のため把握して おりませんでした。もし根拠となる文献は、私としても大変興味のある課題です。
HIV-1はその患者数の多さや当初効果的な治療薬が存在しなかったことから、多くの研究者が研究に参入してきたフィールドだと思います。しかしHIV-1はヒトやチンバンジーにしか感染しないため、普通の実験マウスで生体内(in vivo)でのウイルスの挙動を再現することが難しく、明らかになっていないことが多く残されているようです。そこで佐藤先生がヒト化マウスという手段を用いて、HIV-1アクセサリー遺伝子の生体内での機能を明らかにしたことは、HIV-1基礎研究において非常に大きな進歩だったこと思い、感動しました。佐藤先生は自分と同じく東北大学農学部ご出身ということもあり、親近感を持って拝聴したのと同時に、自分の先輩にこのように成果を上げている方がいることが誇らしく、自分も頑張ろうと奮起させられました。
ウイルス塾への参加は初めてですが、学会やシンポジウムとはまた違った、わかりやすく面白いお話をこの二日間で沢山聞くことができました。ウイルス塾を毎年、企画・運営してくださる西村先生、ウイルスセンターの皆様に心より感謝申し上げます。
東北大学農学研究科 動物微生物学研究室 修士1年 飯野佑佳
はじめ佐藤先生には学生時代から今に至るまでのお話をして頂き、同じ東北大学農学部にいた先輩のキャリアの話を、とても興味を持って聞いていました。初めて参加したウイルス塾との出会いが、現在の仕事であるウイルス学と出会うきっかけになったことを、同じく初めてウイルス塾に参加している自分と重ね合わせて聞きました。大学院進学のため訪問した先生が、たまたま京都大学に移ることになったため、現在の研究場所である京大へ縁を持ったことなど、偶然のことが新しい場所へ行くきっかけになったことを聞いて、経験する一つ一つのことを大事にしようと思いました。
HIVは一般的にも大変注目度の高いウイルスであるにもかかわらず、有効な動物モデルが存在していませんでした。そんな中マウスでの動物実験方法を確立したことは、さらなるHIVの研究や治療薬の開発に非常に大きなことであると感じました。本講演ではHIV-1アクセサリー遺伝子の体内での役割について大変わかりやすく説明をしてもらい、HIV-1がどのように進化してきたのか、その過程で宿主の免疫から逃れるために新たに遺伝子を獲得してきたことを知ることができました。赤の女王仮説として表現されたウイルスと宿主間の攻防に、鶏が先か卵が先かの不思議さを感じるとともに、生き残るために的確に自分の遺伝子を操作して進化していくことに感動しました。
このような学術的な話を初心者にもわかるように講義して頂けるみちのくウイルス塾に参加できたのはとても貴重な経験でした。佐藤先生をはじめ講演してくださった先生方、開催をしてくださった西村先生や増田先生、ウイルスセンターの職員の方々に感謝申し上げます。
東北大学農学研究科 動物微生物学研究室 修士1年 井出杏実
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