ウイルスセンタートップ >> みちのくウイルス塾 >> 第7回みちのくウイルス塾 >> 聴講録
大分大学医学部 4年生 島智秋、 平江 健二
菅村先生が研究をなさってこられた過程で出会った三人の偉大な研究者の、ウイルス発見までの道のりについて話していただいた。三人の研究者の発見したウイルスはそれぞれ以下の通りである。
1952年 東北大学附属病院産科病棟新生児室にて新生児肺炎が流行した。17名罹患し、11名死亡した。当初、細菌感染を疑いペニシリンを投与したところ、効果が見られなかったことから、ウイルス感染が疑われた。このウイルスの分離法は以下の通りであった。新生児の剖検肺乳剤をマウスに鼻から入れ、5〜7日経過したところマウスが死亡した。このマウスの肺乳剤を発育鶏卵に接種し、そこからウイルスを分離し、それはセンダイウイルスと呼ばれるようになった。これと同じころ、予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)、大阪大学、名古屋大学で、検体の接種を受けないマウスから、これと似たウイルスが分離されHemagglutinating virus of Japan (HVJ)と呼ばれていた。このウイルスは元々マウスに感染していたことも否定できないため、東北大の新生児肺炎とセンダイウイルスの関連については確定にされなかった。(1955年、日本ウイルス学会で、センダイウイルスとHVJは、同一のウイルスであり、このウイルスはHVJという名に統一された。その後、わが国では、このウイルスはしばらくHVJと呼ばれていたものの、世界的にはSendai virusという名が通っており、現在はこちらの名の方が通っている。)
ここまでだけなら1950年代の新生児肺炎の流行ということでセンダイウイルスはあまり注目されなかったかもしれないが、大阪大学の岡田善雄先生がセンダイウイルスが細胞融合活性を持つこと発見し、その後これにより世の注目を浴びることとなる。それは、Henry H. & Watlcins, J. F. らが、この活性を用いHela cellとEhrlich cellの融合細胞を作り出したことに始まった。そして、この細胞融合は、
といった研究に利用されることになり、これによって細胞工学の幕が開けたとされる。
センダイウイルスはウイルス感染の初期メカニズムの解明にも貢献した。本間守男先生が、トリプシンによるセンダイウイルスの活性化という現象を発見したのである。
マウス細胞に感染させたセンダイウイルス(L-センダイ)は感染性がないが、鶏卵に感染させたセンダイウイルス(Egg-センダイ)には感染力があるということが知られていたが、偶然、通常感染性を持たないL-センダイにも感染性が見いだされ、その原因を追究したところ、本間先生のもとで実験準備をしていた多田孝太郎先生が実験中トリプシン濃度を間違えて10倍にしていたことが判明したのであった。そして、そこからセンダイウイルスの表面にあるF糖蛋白質をトリプシンが開裂させることが、感染に必須であることが突き止められたのだった。これは、のちにインフルエンザやHIVなど多くのエンベロープを有するウイルスでの同様な現象の発見に結びついた大きな発見であった。
1963年 Blumbergが、オーストラリア(Au)抗原を発見した。
Blumbergは頻回輸血患者の血清中に血清タンパクのアロタイプに対する抗体を発見した。そして、同抗体と反応するリポタンパクをオーストラリアのアボリジニの血清中に発見し、それをAu抗原と名づけた。その後、この抗原は白血病やダウン症に関連する物質として注目され、さらに肝炎患者で同抗原がよく検出されることが分かり、次第に肝炎とAu抗原の関係が明らかにされ、ついにはこれがB型肝炎の原因ウイルスであるHBVの表面抗原であることが明らかにされていき、1976年、Blumbergはノーベル賞を受賞する。菅村先生は、ちょうどそのころBlumberg研究室でポストドクとして研究生活を過ごしており、東北大の大学院生時代に学んだ免疫学的な手技でBlumbergのラボで活躍していた。
一方、これと同じころ日本でも、輸血後肝炎の患者の血清を、ウクタロニーという血清学の基本的手法で長年研究していた九州大学の大河内一雄教授が、肝炎患者の血清中にMurakami抗原と名づけた抗原を発見しており、のちにこれはAu抗原と同一であることが判明しており、日本においても同時期に同じ発見がなされていた。
1977年に、高月清らにより成人T細胞白血病(ATL)という病気が発見された。そして1981年、日沼頼夫先生は、蛍光抗体法という抗原-抗体反応を利用した感染症の免疫学的解析手段を用い、ATL患者から樹立された白血病細胞株を患者血清と反応させ、この病気に特異的な抗原を発現している細胞を見いだした。この抗原がウイルス抗原である可能性が示された。日沼先生は蛍光抗体法を日本に初めて持ち込んだ一人であり、自分の手技に絶大な自信を持っていた。
次に、この白血病細胞が実際にウイルス粒子を作り出すことを証明しようと、電子顕微鏡で調べた。最初、同じ研究所に居た高名な電子顕微鏡学者に依頼したが、すぐにそのようなものは見つからないという返事が返ってきた。しかし、日沼先生は諦め切れずに、大阪医大の電子顕微鏡学者である中井教授に依頼したところ、中井先生は「日沼先生がそう信じるのであればきっとウイルスが居るはず」と言って、丹念に調べられた。その結果、とうとうMT-1細胞からウイルスが出芽している像を電子顕微鏡で写真に撮られた。これがヒトにおける世界初となる病原性レトロウイルス、ATLV(後にHTLV-1と命名される)の発見の経緯である。
菅村先生は、ウイルスについての歴史だけでなく、先生が出会った研究者を通しての教訓をも話してくださった。トリプシン濃度をまちがったことから、センダイウイルス感染の初期メカニズムの解明につながったことは、ペニシリンの発見のことを想起させる。失敗から新たなことを学び取ろうという姿勢が偉大な発見につながることを学んだ。
HTLV-1の発見につながる間接蛍光抗体法では、1000個に1個の細胞しか発光しなかった。通常の研究者ならアーチファクトとして見逃すとことである。しかし、日沼先生は自分の習得した手技を信じ、陽性として実験を進めたこと、そしてそれを信じて、がんばってくれた電子顕微鏡学者の協力が、HTLV-1の発見につながった。テクノロジーをしっかりと学び、ゆるぎない自信を持ってそれを活用していくことの大切さを学んだ。また、逆にそれをそれだけ自信の持てる武器にするだけの修練を積む大切さを学んだ。
東北大学医学系研究科微生物学分野・実験助手 清水みどり
西村先生は、ご自身が山形大学時代に加わったC型インフルエンザウイルス研究について概説され、特に、どのように研究をつなげていったか、その方法や節目となる発見・着眼点について示された。村木先生は、西村先生から引き継がれたテーマを新しい方法を駆使して解明され、さらにそれを展開した話をして下さった。大田先生は、学生時代に(2007年に亡くなられた)藤澤先生と共に仙台ウイルスセンターで研修され、研究の一端を担われた。各々に連なるC型インフルエンザウイルス研究について、リレー形式で発表されたのでここに紹介したい。
山形大学医学部細菌学教室初代教授本間守男先生は、山形で日本において始めてC型インフルエンザウイルスの本格的研究を始められ、ほとんどの人が10歳までにこの抗体を獲得することを明らかにした。西村先生もフィリピン奥地の住人の血清調査を行い、これと同様であることを確認し、C型インフルエンザが日本のみならず世界中に存在する病気であることを再確認した。
【赤血球レセプターへの吸着能】
C型インフルエンザウイルスのレセプターは、A型やB型のレセプターであるN-アセチルシアル酸ではなく、その側鎖がO-アセチル化したシアル酸であり、それはある種の赤血球の赤血球上にあることから、赤血球上のウイルスレセプターに結合すると、ウイルスは赤血球同士を架橋し、その結果、赤血球が凝集する像が見られる。この赤血球凝集能によりこのウイルスは簡便に検出される。西村先生は、ヒト赤血球がこのウイルスによって凝集されたりしなかったりし、また凝集の程度も個人差があること、そしてこれが既存の血液型とは無関係であることを明らかにした。そしてさらに、それがC型インフルエンザウイルスの血球への吸着の程度ときれいに相関することを、ウイルスをアイソトープ標識して赤血球上のレセプターに吸着させ、アイソトープ量を指標に吸着量を定量する方法により明らかにした。
【レセプター高発現株の探索】
その後、C型インフルエンザウイルスの分離を目的として、ウイルスレセプター高発現細胞株を同上の方法を用い探索した。レセプター本体であるO-アセチル化シアル酸を高頻度に発現しているガン細胞株の中から、メラノーマ系のHMV-II細胞に対するウイルス吸着量が特に高いことを見出し、かつ、感染実験によりこの細胞がC型ウイルスに対して高い感受性を持つことを見出した。この細胞を得たことによりC型ウイルスの分離が、格段に向上した。
【ひも状構造物の発見】
HMV-II細胞でC型ウイルスを増殖させているうちに、感染細胞からひも状のものが「メドゥーサの頭」の髪の毛のように伸びているのを培養顕微鏡観察下に発見した。これをウイルスと予想して、電子顕微鏡による形態の確認や蛍光抗体による染色、さらに赤血球吸着像の確認を行い、ひも状構造物の本体はC型インフルエンザウイルス粒子のある種の表現系であることを証明した。このひも状構造物は、西村先生のボスであった山形大学医学部細菌学二代目教授(故)中村喜代人先生により、Cord Like Structure(CLS)と命名された。
このCLSができる現象は、ウイルスが感染した細胞から子ウイルスが、出芽というプロセスを経て飛び出すときの最後のステップで細胞膜からちぎれ出るpinching offのプロセスのどこかが狂っているために起きると考え、この出芽の過程ならびにウイルスの粒子形成(球状か糸状か)のメカニズムを研究する上で、非常に良い対象になると考え、その後、この現象の解明の努力が続けられることになる。
【CLSに関与する蛋白質および遺伝子の同定】
CLSを決定する蛋白質を解明し、ウイルス粒子形成機序の解析につなげることを目的として、まずCLS欠損ウイルス株の探索を行ったところ、例外的にCLSを形成しないC/Taylor/1/50株を見出した。このTaylor株とCLSをよく形成するC/山形/1/88株のウイルス蛋白をSDS-PAGEで比較したところ、HE・NP・M蛋白の移動度が異なることが分かった。
次に、各蛋白質の遺伝子組み換え体を作製し、CLS形成能を比較するという手法によりこれら3つの蛋白のうちM蛋白が、この現象を規定している可能性を明らかにした。さらに、これら3つの蛋白質以外の蛋白質の関与の有無を調べるために、ウイルスRNAの人工分解産物の二次元電気泳動によるフィンガープリント法という、非常に手の込んだやりかたで解析した。その結果、M蛋白がこの現象を規定していることが確定された。 そして、M遺伝子cDNAの塩基配列分析(手動)を行い、CLSを形成するウイルス株と形成しないウイルス株ではM蛋白の24位と133位のアミノ酸に違いがあり、そのどちらかあるいは両方がCLSの形成にかかわることを突き止めた。
西村先生は、それらのうちどのアミノ酸がこの現象をもたらしているのかを特定する手段として、当時米国で榎並先生(現金沢大学教授)がA型インフルエンザウイルス研究の領域で始めたばかりの(旧法の)リバースジェネティクスをC型でも確立しようと、米国CDC留学中に大いに努力したが、結局、実は結ばず、その後を後輩の村木先生に託すことになった。
村木先生は、このM遺伝子に関する研究を展開した。研究を進める上で大変有用であったのは
1. 先述のレセプター高発現株であるHMV-II細胞
2. 「長い」ひも状構造を形成するウイルスC/山形/1/88株とまったく形成しないC/Taylor/1/50株
3. 種々のモノクローナル抗体の作製
であった。一方、M遺伝子はM1蛋白とCM2蛋白をコードすることが当時明らかになってきていたが、M1蛋白だけがCLSに関与することを確定した。
【CLS形成に関与するM1蛋白のアミノ酸の同定】
村木先生は、河岡先生(現東大医科学研究所)が確立した新しいリバースジェネティクス手法をC型インフルエンザウイルスに応用し、ウイルスcDNAからウイルス様粒子(Virus like particles ; VLP)の作製に成功した。そして部位特異的に変異を導入したVLPを作出して検討し、M1蛋白の24位が Alaの場合はCLSを、Thrの場合は球状を形成すること、すなわちM1蛋白の24位のアミノ酸置換がCLS形成に関与すること、また133位のアミノ酸はCLSに無関係であることを明らかにし、西村先生の予想をさらに煮詰めた。
さらに、村木先生は、この方法で、通常はCLSを形成するC型ウイルス株のM1蛋白の24位のアミノ酸をアラニンからスレオニンに変えたウイルスを作出し、それが球状粒子しか産生しない変異ウイルスに変わることを示し、上記のVLPでの結論を、実際のウイルス粒子においても決定付けた。
【CLSの感染機序】
M1蛋白がCLSの形成にどのように関与しているかを考える上で、M1蛋白がウイルス粒子の膜の裏打ちする蛋白であることが知られていることから村木先生は、M1蛋白の細胞膜との親和性の違いが、この24位のアミノ酸の違いによって起き、その結果、CLSの形成の有無が決まるとの仮設を立て、floatation法と呼ばれる方法により解析した。細胞を破砕した後、超遠心し、トップからボトムまで10個の画分に分け、3番目と4番目の画分に細胞膜を回収し、そこに含まれるウイルス蛋白をウェスタンブロッティングで解析した。
その結果24位にAla→Thrの変異をもつM1蛋白は、細胞膜からの回収量が低下しており、この変異がM1蛋白の膜への親和性が親株のそれより弱いことが示唆され、この親和性の低下が、ウイルス粒子の形態変化(CLSから球状粒子への変化)に作用している可能性が考えられた。
C型インフルエンザウイルスを低濃度でHMV-II細胞に接種すると、CLSの形成は非常に低下し、それにかわって細胞融合が観察された。通常、細胞融合はセンダイウイルスやRSウイルスなどのパラミクソウイルスでは良く知られている現象で、またウイルス遺伝子の細胞中への侵入は、中性条件下の細胞表面で起きることが知られている。一方インフルエンザウイルスでは、このような細胞融合現象はこれまでC型も含め知られておらず、また遺伝子の侵入も、感染後細胞内に取り込まれたのち、エンドゾームとウイルス粒子膜の融合が酸性条件下で起きる、細胞内のエンドゾームでの脱核とされている。そのモデルとしては、ウイルスと赤血球を反応させ、さまざまなpH環境下で膜融合を起こさせ、溶血を指標にそれを確認する手法が知られている。
大田先生と藤澤先生は、大分大学の学生だったころウイルスセンターに研修に来て、C型インフルエンザウイルスの多くの株が細胞融合を起こすが、一部の株ではこの現象が見られないということを見つけ、またその現象が見られた培養条件は中性領域にあったことを確認した。さらに、彼らの後に続く後輩たちも、C型ウイルスの多くが中性付近(pH6.5)で赤血球を溶血することを確認し、さらなる実験に取り組んでいる。
私自身は2回目の参加でしたが、会場は益々盛況な様子でした。このC型インフルエンザウイルスの話では、一つのテーマを1人の研究者が深く掘り下げていく様子や、何人かの手を経て広く幅を拡げられる様子がわかりやすく、ていねいに語られ、最後まで興味深く聞くことができました。特に印象に残ったのは、詳細に記録された西村先生の当時の手書きのノートやデータです。2年余りもリバースジェネティクスと奮闘された末、上手くいかなかったと山積みにされたノートは、研究へのひたむきな姿勢や愛着を十分伝えてくれました。私事ながら、良い実験結果が出なくてもあきらめずに前に進んでいた、かつての先輩や仲間を懐かしく思い出すとともに、それが私にも貴重な経験を積めた時間だったことを認識させてくれました。村木先生は、優れた方法や材料を用いること、ストーリー性のある研究をすること、繰り返し確認すること、の大切さを話され心に残りました。講演の最後には、将来研究者として期待される学生さんにまで話が及び明るい気持ちになりました。今年も多岐にわたる議題が凝縮されたプログラムで、有意義な時間を過ごすことができました。西村先生はじめウイルスセンターの皆様ありがとうございました。来年の「みちのくウイルス塾」も楽しみにしています。
飯塚愛恵(東京大学医学系研究科国際保健専攻 修士課程1年)
西園先生は、狂犬病について、歴史、疫学、ウイルス、発症病理機構の観点から全般的に講演してくださいました。
狂犬病(Rabies)の存在は紀元前2世紀から記録があり、その語源はラテン語のrebere"怒る、狂う"である。1885年にルイ・パスツールによって不活化ワクチンが開発された。
狂犬病ウイルス(Rabies virus)はモノネガウイルス目ラブドウイルス科リッサウイルスに属している。その構成タンパクは、N、P、M、G、Lの5種類からなる。宿主は食果・食虫コウモリであり、唾液を介して温血動物、コウモリに感染する。
狂犬病による死者は世界で年に約5500人にもなり、99%はアジア・アフリカで発生している。アジア・アフリカでは、domestic animalsや家畜からの感染例、ヨーロッパ・アメリカでは野生動物からの感染例が一般的である。インド・バングラデシュでの発生率が一番多い。欧米では、野生動物へのOral Rabies vaccine programが行われている。
ヒトの狂犬病は、咬傷あるいは角膜・臓器移植によってウイルスに曝露することによって感染する。臨床症状は、狂躁型と麻痺型に分類される。狂躁型はhydrophobia、aerophobia、幻覚などの症状が見られ、麻痺型は尿失禁などの症状が見られる。予後は、発症後2〜10日を経てほぼ100%死亡である。診断は頸部皮膚毛包部の生検、角膜スメアなどのウイルスN抗原検出、ゲノム検出が行われる。狂犬病ワクチンには不活化ワクチン、脳組織由来ワクチン、組織培養ワクチンがあり、世界で7億人程度に接種されている。曝露後ワクチンの接種法には、筋肉内接種法(WHO推奨)と皮内接種法がある。
狂犬病ウイルスはアセチルコリンレセプターを持ち神経系の細胞に親和性がある。ウイルスは神経組織に感染後、軸索を逆行性輸送され脳に到達する。その後、再び軸索を順行性輸送され、その他の臓器に移動する。潜伏期間は、4〜13週間から6ヶ月と様々である。
最近、Reverse geneticsを用いて、Gタンパクの神経病原性への関与、Gタンパクのアポトーシス誘導能、 Mタンパクとウイルス粒子形成について、Dタンパクの軸索輸送への関与、PタンパクのI型IFN産生抑制作用など、ウイルスの複製や構造タンパクについて解明されてきている。
西園先生の講義では、狂犬病について全般的に理解することができました。狂犬病の感染例は小児に多く、発症後に治療法のない感染症であるからこそ、ワクチン接種によってヒトへの感染を防ぐことは重要であると感じました。日本に住んでいると狂犬病は遠い国で流行している感染症と思いやすいですが、2006年にフィリピンから帰国した日本人2人が狂犬病で死亡した例もあり輸入感染症としてまだまだ忘れ去られてはいけないと考えさせられました。私は今回が2回目の参加でしたが、みちのくウイルス塾では毎回ウイルス感染症について多岐にわたる分野の講義を聞くことができ、楽しみにしております。
最後に、仙台医療センター ウイルスセンターの皆様、西村先生ありがとうございました。
齋藤 麻理子(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野)
クロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease :CJD)は、伝播性を有する異常プリオン蛋白質が中枢神経系に蓄積し、不可逆な致死性神経障害を来たす疾患である。北本先生らのグループではこれまでにヒトプリオン遺伝子発現マウス(ノックインマウス)を作成し、接種後短期間で異常プリオン蛋白質の沈着を指標にしたバイオアッセイ法を確立している。今回、その方法を応用して可能となったTraceback Activityについて紹介する。
CJDのうち感染性プリオン病として分類されるものには、乾燥硬膜移植が原因であるDura/SY および Dura/PL、そしてBSE由来である変異型CJD(vCJD)がある。 またヒトプリオン病では、プリオン蛋白遺伝子の正常多型によるコドン129のメニオニン(M)かバリン(V)による違い、さらにProteinase K処理後の異常プリオン蛋白質の分子量の違いによるタイプ1、2の区別により、M/M1, M/M2, M/V1, M/V2, V/V1, V/V2 の型が存在する。これまでの研究でvCJDプリオンをヒト型ノックインマウスの脳に注入すると、MM型およびMV型ノックインマウスには感染するが、VV型マウスには感染しないことが判明している。さらに最近、ヒトCJDプリオンのうちvCJDプリオンのみがウシ型マウス(Bov/Bov)にも感染力があること、すなわち感染源と同型のノックインマウスに感染性を示すことが明らかとなった。この方法を用い、そのCJDの感染源を特定すること、すなわちTracecackが可能となった。
Traceback ActivityによりDura/PL MM-intermediate (タイプ1と2の中間)型患者の感染源となった硬膜がどのようなCJD患者由来であるかを確認した。Dura/PL MMi型プリオンをVV型およびMM型ノックインマウスに注入したところVV型マウスのみが発症したため、Dura/PLはVV型のCJD患者が感染源であることが推測された(Traceback Activity)。さらに、MM1型またはVV2型プリオンをVV型およびMM型ノックインマウスにそれぞれ注入したところ、VV2型プリオンをMM型マウスに注入した時にMMi型のプリオン蛋白質を形成することが確認された。以上の結果によりDura/PLはVV2型(またはMV2型)の患者硬膜に由来することが証明された。
北本先生の、大変柔らかな口調で最先端の研究内容について分かりやすくお話されているのが非常に印象的であった。また先生の研究において、確かなデータと知識に基づいた発展性のある仮説、そして適切な方法を用いた証明、といった流れが極めて明確であることにも感銘を受けた。今回北本先生のご講演を聴講するのは初めてであったが、これまでの研究もこのようなステップを着実に踏んでこられたのであろうということ、さらにその大きな要因のひとつは先生ご自身がこの研究を楽しんでらっしゃることにあるのだろうということが推測できた。このウイルス塾では毎年ご自身の研究のアップデートをお話されているということだが、来年の先生のご講演が大変楽しみである。
東北大学大学院修士課程1年 今川 稔文
今回、ウイルス塾に初めて参加させていただきました。
私が聴講録を書かせて頂く演目は「エイズウイルスと宿主との攻防〜サルからヒトへの異種間感染メカニズム〜」で、東京大学医科学研究所感染症国際研究センターの武内寛明先生がエイズウイルスの宿主選択の仕組みを分子生物学的に説明してくださいました。以下に簡単に内容を説明したいと思います。
元々HIV(ヒト免疫不全ウイルス)はサルからヒトに感染し、ヒトからヒトへの感染性を獲得したと言われています。しかし、このHIVがサルに感染することができるかというと、チンパンジーなどの一部の種類に感染できるのみで全てのサルに感染できるわけではないようです。また、SIV(サル免疫不全ウイルス)というウイルスがいますが、これも一部のサルには感染できず、エイズウイルスの中でいわば棲み分けのような状況ができていいます。そしてこの「棲み分け」を作っているのがウイルスと宿主の攻防の結果だというのです。
ヒトの細胞はHIVの逆転写反応を阻害する働きのあるタンパクを持っています。逆転写が出来ないとRNAウイルスであるHIVは宿主細胞内で増殖することができないわけですが、実はHIVはこれに対抗する手段を獲得していたのです。Vifというタンパクでこれを持っているウイルスはヒト細胞内で増殖することができます。また、ヒトの細胞はcyclophillin Aと呼ばれるHIVの増殖に必須のタンパクも持っており、これが無いとHIVは増殖できません。しかしヒトのcyclophillin AはSIVに対しては増殖を抑制し、サルのcyclophillin AはSIVの増殖に必須の因子として働きます。よってこのヒトとサルのcyclophillin Aの働きの違いによってHIV、SIV両ウイルスの「棲み分け」がなされているのだろうと考えられます。
私はエイズウイルスに関してそれほど詳しい知識があったわけではありませんが、武内先生が分かりやすく説明して下さったために上記のような内容の話もわりとすんなり理解できました。あるウイルスが何故特定の種にだけ病気を引き起こし、他の種には病気を起こさないのかということにレセプターの違い以外にも理由があるのだということをHIVとSIVという互いに近似のウイルスを例にして具体的に示して下さったのでたいへん興味深く聞かせていただきました。ふだん何気なく現象として捉えているような生命の営みも、分子生物学の視点から見ると様々な化学物質の作用の結果なのだということをあらためて認識しました。ウイルス塾は研究者や医療関係者だけでなく一般の方も参加できます。このような催しは勉強にもなりたいへん面白いものだと思うので、また来年も機会があれば参加したいと考えています。
モイ メンリン (留学生、 国立感染症研究所 ウイルス第1部第2室、筑波大学 人間総合科学研究課 ウイルス医学)
ウイルスが宿主の免疫システムを自らの増殖に利用することは、ウイルス学を学んでいる私にとって、非常に興味深いです。 世界中で馴染みのある麻疹ウイルスでありながら麻疹ウイルスがヒトの体内にどのように感染し、どのようなメカニズムでヒトの免疫システムを麻疹ウイルスの増殖に利用するのか、いまだに明らかにされていません。 竹田先生は麻疹ウイルスの研究の現状、そして先生ご自身の研究から得られた最新知見を紹介されました。 私が理解した内容を簡単にまとめました。
麻疹は小児感染症の中でもっとも重要な病気のひとつである。 潜伏期10〜15日が経過すると発疹が出現する。 発疹が現れる5日前後は伝染力のある時期である。 感染症の中でも非常に伝染力が強く、Ro値で表すとインフルエンザウイルスのそれよりも6倍の強さとされている。 抗体を持たない人にとっては患者が近辺にいるだけで感染の脅威である。
有効なワクチンは40年前に開発されているにも関わらずWHOの推定では、残念ながら、世界中で5歳未満の幼児3万人が毎年この病気で亡くなっている。
麻疹ウイルスはセンダイウイルスと同じパラミクソウイルス科に属し、ウイルス粒子のエンベロープ表面には細胞接着(H)タンパクと膜融合(F)タンパクの2種類の糖タンパク質が配列している。
初期感染のときに麻疹ウイルスは免疫系細胞(リンパ球やCD150を有する細胞)に感染し、そこで増殖し、リンパ器官を通って全身に運ばれる。
麻疹に感染すると一時免疫が低下するため、他の病原体の二次感染による合併症が起きることがある。
麻疹ウイルスの免疫系細胞レセプター(CD150及びSignaling Lymphocyte Activation Module, SLAM)は2000年に同定された。
しかし麻疹ウイルスはSLAMを有しない上皮細胞にもよく感染する。上皮細胞への接着メカニズムは今まで不明であったが、竹田先生らは上皮細胞である肺がん細胞(NCl-H358)に麻疹ウイルスが感染することを、明らかにし、さらに、免疫系細胞が有するSLAMと極性上皮細胞を特異的に認識するウイルス粒子タンパクは、Hタンパクであることを示した。
SLAMを有する免疫系細胞で増殖した麻疹ウイルスはリンパ流に乗って、全身に運ばれる。 その後、竹田先生らは、ウイルスは極性上皮細胞に感染しそこで増殖した麻疹ウイルスが気道内に大量放出されるということまで明らかにした。
その結果、麻疹ウイルスは、このメカニズムでヒトに病気(麻疹)を引き起こし、次の宿主(ヒト)に感染するというサイクルで維持されている。
はじめて「みちのくウイルス塾」に参加させていただきました。
竹田先生が麻疹ウイルスに関して難しいトピックスをわかりやすく講演してくださいました。 勉強不足の私でも楽しく聴講することができました。 「みちのくウイルス塾」は広いウイルス分野にわたり、二日間でさまざまなウイルスの研究をなさっている先生方が濃厚な内容を解説してくださいました。 暑い夏の季節です。先生方はその暑さに負けない熱意で講演してくださいました。 初日の懇親会で先生方と接する機会も与えられました。 非常に質問しやすい環境であったため、講演で理解できなかったことやウイルスの雑学まで勉強できました。
学生の私はウイルス研究の道を踏み始めましたが、ウイルス学者がどんな環境で研究をしているかを、知ることができました。 そしてまた、ウイルス研究の本質を今回の「みちのくウイルス塾」で「体験」することができました。 世界のトップレベルの先生方からインスピレーションをいただいたうえで有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
佐山 勇輔(東北大学大学院博士課程1年)
押谷先生の講演は、二日間に渡るウイルス塾の最後の演者として講演された。今までの講演者の方々の内容とは異なり、感染症の対策を考えたときにウイルスを始めとする病原体の封じ込めではなく、公衆衛生を始めとする社会医学を中心とした感染症についての講演だった。ここに簡潔ながら講演の内容を報告させていただきたい。
1990年代までは、アフリカで発生したエボラ出血熱などが世界に飛び火するなど世界のほとんどの人たちが考えていなかったが、2003年に発生したSARS (Severe Acute Respiratory Syndrome) により、現在のグローバリゼーションの進展により、新興感染症を始めとする各種感染症が国境を越えて瞬時に拡散する危険性がこれまでになく高くなっていることが明らかになった。
SARSは2002年11月、中国・広東省の農村部で始め最初の患者が報告され、その後単発的に患者が発生したが、その中の患者の一人が広東省の都市部に訪れた事により感染が拡大され、患者の診療を担当した一人の医師が発症しながらも香港での結婚式に参加するために、泊まったホテルのフロアにて各国の旅行者に罹患したことにより世界中に伝搬されることになった。その後、様々な国々でSARS患者およびSARSの拡大が報告され、2003年7月のWHO終息宣言が出されるまでに全世界で8000人以上が感染した。また、押谷先生はSARS発生当時WHO西太平洋事務局にて勤務されていたことから、現在の交通網の発達を始めとする様々な問題点などを報告された。
また、近年注目を浴びている新型インフルエンザウイルスについてもお話しされた。2003年に報告されてから現在でも流行が続いており、全世界でも60カ国以上で発生が報告され、380人を超える人々が鳥インフルエンザウイルスに感染し死亡している。その致死率は各国で異なるが最大80%という報告もある。ウイルス株によりワクチンの開発が進められることもあり、現在世界で流行しているウイルスの株の調査を行うのは重要である。
しかしながら、特に発生の多いインドネシアが、2006年から国の方針としてWHOに鳥インフルエンザウイルスの株の提供を中止した。その理由として、インドネシア政府は、いくらウイルス株を提供しワクチン開発が出来ても、ワクチンは高価であり使用するのは先進国の人々であり、提供している自国には購入は困難であり、自国の国民にはほとんどメリットがないというものであった。新型インフルエンザ対策には、こうした南北問題がらみの社会的問題の視点も非常に大事であることがわかる。
SARS、新型インフルエンザの例を挙げて分かることだが、現在はグローバル化が進んだこともあり、感染症は一つの国だけで十分な対策を取ることは、きわめて難しいといえる。東北大学の押谷先生の教室は、文科省の「新興・再興感染症拠点形成プロジェクト」に参加し、現在フィリピンに研究拠点を形成しているところである。同国にある国立熱帯医学研究所 (Research Institute Tropical Medicine: RITM)と協同して様々な感染症に関する疫学研究を始めているところである。
全世界の5歳以下の小児の死因のほとんどは感染症が原因で亡くなっており、特に肺炎などの呼吸器感染症での死亡が20%にまで上っている。それは現在のフィリピンも例外ではない。また、2006年に36年ぶりに日本国内で発生した狂犬病患者の2例はどちらもフィリピンで犬に咬まれた後帰国したが、本人たちは自覚していなかったことから、なんら処置もせずに発症を起こし死亡につながったものであった。これらのことから、現在、フィリピンにおける肺炎を起こす様々な病原体ならびに狂犬病の疫学的研究に力点をおいて、教室スタッフを常駐させるとともに、現地スタッフの教育も含めた拠点活用型の研究を行っている。
初めて「みちのくウイルス塾」に参加させていただきました。今回の開催で7回目の実績を数え随所で活発な討論があり、とても有意義な講演会だと感じ、私も今後は可能な限り参加させて頂きたいと感じました。また、今回の講演を通して感じたことですが、ウイルスによるものをはじめ感染症は今なお世界中で蔓延しており、日本においても決して楽観的でいられないのを再確認できた。また、実験を始めとする一つの結果を求めるプロセスに個人の力だけではなく、様々な方々の協力が結びついていることを痛感しました。
最後になりましたが、夜に行われた懇親会では、通常の学会とは異なり、各専門領域で実力と豊富な経験を持っておられる一人一人の演者の先生方と学生が、じっくり話すことができました。こうした機会があることも、このウイルス塾の醍醐味の一つだと思います。また、来年のウイルス塾を楽しみにしております。
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